■ クリスマス ■ お正月 ■ バレンタイン |
クリスマス |
しんしんと雪が降る夜、実に珍しいことだが魔王から電話が来た。 「カオリ、血染めの老いぼれはいつ屋敷に踏み込んでくる」 「穏やかじゃないですね復讐鬼か何かですか」 「ふ、愚かな。知らぬのであれば教えてやろう。今宵はクーリスマース」 「クリスマスですよイントネーションおかしいな。あ、血染めのってサンタのことか! あー……いや、うーんサンタは、ほら、良い子のところしか来ないんですよ」 「ならば余の元にも来よう。毎日掃き掃除と歯磨きを欠かさぬ。そのサンタの軍はどこから来る」 「一応煙突からってことになってます」 「煙突……高齢にそぐわぬ鋼の肉体か……しかし余の屋敷に煙突は備えておらぬ」 「うん、そう、なのでサンタさんが魔王さんちに行くのはちょっと難しいんじゃ、」 「背に腹はかえられぬ。今宵のみ扉の施錠を解く」 「えっ」 「サンタとやらもこれで我が邸宅に忍び込むことができよう」 「えっ……」 「すでに靴下も吊るし、迎え撃つ準備はぬかりない」 「まじで」 「案ずるな。とらえて正体を明かすなど無粋な真似はせぬ。しきたりに従い、眠りに身を任せ時を過ごす。ハハハ」 そこで電話は切れた。 私は母に許可を取り、父に贈るはすだったネクタイの包みと冷麦を綺麗にラッピングしなおすことにした。 「いやあ子供の夢を守るっていうのもなかなか楽なことじゃないね……」 「あんた何言ってんの」 ▲ |
お正月 |
年明け、年賀状より早く我が家にやって来たのは隣人だった。一年で最もめでたい日にも関わらずその人は上から下までいつも通りの黒ずくめで、正月飾りで彩られた玄関を早々に闇で染めた。 「あけましておめでとうございます。早いですねまだ八時ですよ」 「破滅の産声響き渡る、終わりの始まりぞ」 「普通に新年って言ってください不吉な」 私の起き抜けの寝ぼけ眼とは対照的に、魔王を取り巻く空気は磨いたように鋭利に尖っている。吐き出される声には緊迫した色さえあった。 「ときにカオリ、そなたまだあれは食しておらぬだろうな」 「あれ?」 「然様、あれだ。死者の如き白く固い身に、この世のものとは思えぬ粘り気を宿した祭儀の糧」 もしかして餅か。 「これからお雑煮食べるところなんですけど……」 魔王の瞳が獣のように光る。 「息の根を止める悪名高き死の供物と聞く。決して気を緩めるでないぞ」 高齢者がうっかり喉に詰まらせて、という悲劇を踏まえてのことだろうが、年の初めから不穏な語句の大盤振る舞いに正月気分も吹き飛びそうだ。獅子舞より威圧感のある面構えを前に、寝癖つきの頭をもそもそとかいていると、台所から立ち働く物音が聞こえてくる。出汁の香りが仄かに鼻をくすぐった。 「もし良かったら一緒にいかがですか」 「ほう。馳走になろう」 魔王は躊躇なく頷いた。散々言っておいて食べるのか。 「大丈夫ですか死の供物ですよ」 「愚問。見事滞りなく飲み下し、与えられし死の祭式を完遂せしめてみせよう。そなたも死力を尽くせ」 「が、がんばります」 というわけで、今年は例年より餅を咀嚼する正月となった。 ふるまわれた雑煮の餅が魔王の方がひとつ多かったのはいいとして、母からのお年玉の額が魔王の方が多かったことについては腑に落ちなかった。 ▲ |
バレンタイン |
2月14日。 その日は窓が大きく震えるほど荒々しく吹雪いていた。 雪には多少慣れた地元民すら外出を躊躇する暴風雪に紛れて魔王は来た。黒い身を粉雪で白く染めながら来た。エコバッグらしき袋持参で来た。 「チョコレート菓子をこれに入れよ」 そして玄関に入ったかと思えば出し抜けに、 雪を払い落としもせず袋を差し出しこう言うのである。 バレンタインについて私は魔王に教示した覚えはないから、三枝さんあたりが教えたのだろうか。トリックオアトリートをも欠かすことなく執行するくらいである、ハロウィンよりメジャーで美味しそうなイベントを聞きつけて、魔王が見過ごすわけがない。しかしそのやり口、ちょっとした押し込み強盗。 「自ら回収しにくる人初めてみました」 「そなたが納めにくる手間を省いてやったのだ、ありがたく思うが良い」 「貰えないっていう可能性は考えなかったんですね」 事前になんの取り交わしもないのに、入手前提で話を進めているのがすごい。 魔王は目を光らせ、地響きのような声を吐いた。 「まさか……余の配下でありながら供物の用意がないと……」 「ありますありますよ」 雪まみれで凄まれてもいささか迫力に欠ける。 「驚かせるでない。そなたの忠信に疑念を抱くところであったぞ」 「チョコひとつでそんな揺らぐ!?」 信頼関係が紙幣より薄い。何かと言えばすぐに忠誠心を疑うシステム、どうにかならないだろうか。とはいえ、この雪の中、わざわざこちらから出向く手間が省けたことには違いない。 「これは母から、これは祖母からです」 あらかじめ託されていたバレンタインチョコを魔王に見せながら袋の中にポイポイと入れる。 「で、これは私からです」 最後に赤いリボンがかけられた包みを投じると、魔王の口元は弧を描いた。無邪気な笑顔とはお世辞にも言えない悪巧み顔であるが、たかがチョコを前に喜ぶ15歳と思えば可愛く見えないこともないこともないかも知れないわからない。 ふと覗き込んでいた魔王が包みから目線を上げた。 「昨今、世間では義理チョコなどと称するものが猛威を振るっていると聞いた」 「はあ」 「あまり感心せぬ風潮よ。そもそも、いにしえより媚薬として用いられた嗜好品。カオリ、そなたも誰彼構わずばらまくような節操のない真似は控えるべし」 マイバッグ片手に催促するような人には言われたくないのである。もっともらしく語られたところで、行動と主張が違いすぎて説得力も裸足で逃げる。 しかし義理がお気に召さないならば、我々一家が捧げたチョコは何に分類されるのだろう。本命というのは色々問題があるし、一番近いのは最近よく耳にする友チョコの類だろうか。 友チョコ……友? 友達? 魔王と? それはそれでおかしくないか? 「これ、何チョコになるんでしょうね」 袋の中身に目を落としてそう問うと、魔王は少し考える素振りを見せてから重々しく宣言した。 「では、服従チョコとする」 これから先、絶対にトレンドにならないであろうジャンルが生まれた。商魂たくましく友チョコ逆チョコと新しい形態でビジネスチャンスを図るさしものバレンタイン業界も、容易に踏み込めまい。抑圧された苦々しい味わいが連想される。 魔王の睫毛に降り積もった雪が瞬きの拍子にはらはらと落ちた。今日の魔王は魔王というより冬将軍というべき風体である。白い。 「そういえばホワイトデー知ってます?」 「承知しておる。返礼の日であると」 確か、と顎に触れながら魔王は続けた。 「三倍返しが慣例だそうだな」 「そんな話もありますね」 「一ならば三を、十ならば三十を。千の軍勢を差し向けられれば、三千の兵をもってこれを殲滅する……獅子は兎を倒すも全力を尽くすもの。王者の戦には慈悲も慢心もあってはならぬ」 「なんの話してましたっけ」 途中でホワイトデーの話題が姿を消した気がする。魔王は手提げ袋を至極丁寧な手つきで懐にしまいこんだ。 「せいぜい、怯え震えて待つがいい。一月後、身の毛もよだつ報復を届けん」 「いや普通でいいです」 「必ずや目にもの見せてくれよう」 「普通がいいです! 普通が! できれば食べ物などが望ましい! あ、でも冷麦はやめてくださいよ」 途端、魔王は押し黙った。 反応を見る限り本当に冷麦のリターンを考えていたのかも知れない。危なかった。 無念そうな顔をした魔王は「勘の良い奴め、命拾いしたな」と捨て台詞を吐いて、また荒れ狂う風雪の中へと消えていった。ますます白くなった魔王は、道中、三回ほど積雪に埋まっていた。 その後ろ姿を見送っていた時、回覧板の存在を遅れて思い出し、魔王を追いかけた私も負けず劣らず雪まみれになった。五回埋まった。 ▲ |