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17話目 / 真贋の巻




 父の休暇が終わった。
 あっという間の五日間を過ごし、父はよろよろと仕事先赴任先に戻って行った。
 本来心身に安らぎをもたらすはずの休暇が、父の残り少ない体力ゲージを削り取ってしまったのは言うまでもない。帰って来た日よりも更にげっそりとして、どことなく顔色もワントーン悪くなっていた。
 これまで幾度も見送って来たが、あれほど家を不安そうに去っていく父の姿は見たことがない。
 隣に気を許すんじゃない。根城に単身で乗り込むのは勿論、招き入れるなんて言語道断だ。次は戦争だ。
 マッサージハードコースの洗礼を受けたあとの父の言葉である。珍しく一人で缶ビールを五本開けたあたり、魔王の残した爪痕の大きさが窺える。
 家族を残していくのがよほど心配だったのだろう、去り際にも、何かあったらすぐに連絡しなさい、母さんたちも、夏織も、工場長もだ、と血走った眼で父は念を押した。
 工場長の分までまとめて語り掛けられても請け負えないので私達も困る。心意気を伝えるにはインドは遠い。未だにあれから工場長とは連絡がつかないのだそうだ。魔王との接触が痛ましいものになっただけに、せめて工場長だけでも父に優しい出来事になって頂きたい。

 父が去り、瀬野家は再び三人暮らしに戻った。幸か不幸か、大黒柱の不在に慣れた私達にとってはこちらが日常と言っても差支えない。父は傷つくかも知れないが、いなければいないように上手くまわるようになってゆくものだ。女だけでも大抵のことは何とかなる。
 が、やはり男手が欲しくなる時もやはり来るわけで。
 例えば今のように、瓶の蓋と格闘している時だとか。

「だめ? 開かない? 滑り止め巻いても?」
「だめ。びくともしない。これ無理だって。手首ねじきれそう」
「湯せんで温めて開けるっていう方法もあるらしいよ」
「それ最初にやった」
 力を込めすぎたせいで右手がじんじんと痺れる。一向に出てこない筍の水煮を睨みながら、私は瓶をテーブルに返した。
 下処理まで済ませた筍を知り合いから頂いたそうなのだが、どう閉めたものか、この瓶の蓋が恐ろしく固かった。最初に祖母が開けようとして断念し、次に母が挑むも結果は変わらず、若い力に期待しようと最後に私に託された。
 とはいえ私も特別腕力に自信があるわけではない。何しろ何の筋肉も鍛えられない活動皆無の茶道部所属である。当然蓋が動いてくれるはずもなく、様々な知恵を絞ってみたが全く効果がない。
 私は匙を投げて座り込んだ。代わりに私のものではない腕が瓶へとするする伸びていく。
「もう叩き割ろっか」
 母の提案は時々やんちゃである。
「待って、手段が乱暴すぎる」
「だって今夜土佐煮食べたい」
 そう言うと母は両手で抱え上げる。いつスローインよろしく瓶を床に叩き付けるか気が気ではない。貯金箱でもあるまいし、それは最終手段でお願いしたい。
「春彦さんがいてくれたらねえ。開けてもらうんだけど」
 私達のチャレンジを見守っていた祖母が惜しむように呟いた。母がそれに対して、あははと声を上げて笑う。
「お父さんいても開かないわよきっとー! むしろ無理して蓋より肩外しそう」
 それは私も思ったが、あえて言わなかったというのに遠慮のない人である。
「男手は男手だけどちょっと力仕事向きじゃないから」
 と、更に明るく父を貶めた母は「あ」と閃いたような顔で私を見た。そのまま屈託のない笑顔で、瓶を私に押し付けた。 
「魔王さんに開けてもらってきてよ」
「ねえその便利屋扱いやめない?」
 先日も私の家族は、かの隣人を呼びつけたばかりである。
 学校から帰ってきたら、魔王が居間の蛍光灯を取り換えていたのでびっくりした。脚立が壊れていたからだそうだが、それにしても気安い。ついでとばかりに玄関の電球まで交換させられた魔王は、お礼のカステラを召し上がって帰って行かれた。何を隠そう、私のカステラだった。
「いいじゃないせっかくお隣同士なんだから助け合わないと。美味しくできたらおすそ分けしますってお伝えしといて」
 母に強引に背を押され、私は筍を瓶詰とともに家を追い出された。
 あれほど口酸っぱく説かれたというのに魔王を家に招き入れるわ、娘を単身で住処に送りだすわ、父の教えは何一つ守られていない瀬野家である。


 隣人の人間離れした力については私もよくよく心得ている。私たちでは太刀打ちできなかった蓋の一つや二つ、魔王にかかれば造作もないだろう。こんなことでいちいち手を借りるのも気が引けるが、追い出された以上頼るほかない。
「こんにちはー」
 普段であれば「何奴」とすかさずドアに詰問されるというのに、今日はインターホンを押せども応答がない。留守にしているのだろうか。
「すいません夏織ですー。ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」
 念の為もう一度呼びかければ、今度は反応があった。例の疑り深い誰何の声より先にドアノブが回ったのだ。驚くことに、開かれたドアにはチェーンもない。
 あの施錠の鬼がワンクッションもなく客を出迎えた、と私は一瞬呆気にとられた。しかし施錠の鬼は更に呆気にとられる台詞を私に向かって放った。
「そなたカオリか」
「えっ。ええ? ええ」
 言語機能が困惑して返答が「え」のみになってしまった。
 ドアを閉じた段階ならまだわかる。全開にして目視を済ませた後に問いかけられるとはどういうことだ。昨日一昨日は顔を合わせる機会がなかったが、まさかのその二日で人の顔を忘れたのか。
 私が抱える戸惑いという荷を、魔王はほどくどころか低い声で上乗せした。
「名を名乗れ」
 思わず声がひっくり返る。 
「名を? 名乗れ?」
 今更?
 訪問した時点で名乗っている上に、先ほどカオリかという確認作業を終えた今、更に?
 いよいよおかしい。風呂場で頭でも打ちましたか。
 私も相当訝しい顔で魔王を見上げていたと思うが、私を見下ろす魔王の目は更にその上を行っていた。名乗らねば斬るとでも言わんばかりの眼光と睨み合うほど肝は太くない。
「瀬野夏織と申します」
 私は言われるがまま、面接のようにお辞儀付きで名乗った。顔を上げてちらりと窺うと、どこか疑心の晴れない目の色がこちらに向いている。
「カオリ」
「はい」
「そなたいつ魂分断の術を会得した」
「してませんよそんな術」
 そしてこの先会得する予定もない。
 魔王はその巨躯を折り曲げて顔を近づけた。それから検分でもするように私を睨めつけてから、ふうむと一つ息を吐いた。
「まあよかろう。入れ」
「いや上がるつもりは」
「入れ」
 私はただ瓶の蓋を。
 しかし瓶の話題など差し込む暇もなく、私は魔王邸に半ば引きずり込まれる形でお邪魔することになった。予定外ではあるが、この上司が言葉足らずな上に強引なのは今に始まったことでもない。


 魔王は目配せをして私をソファに腰掛けさせた。その向かいに魔王が陣取る。
 そう、座るという寛いだ雰囲気ではなく、陣取るという言葉がふさわしい威圧感だった。普段から気さくな雰囲気かと問われれば「いいえ」のボタンを10連射するところだが、今日はいつにも増して穏やかではない。目が据わっている。
 知らぬ間に何か仕出かしてしまったのだろうか。私は寄る辺ない気持ちで筍の瓶を両手で抱いた。不安な気持ちのせいか、カサカサと妙な音まで耳が拾う。屋内で風など吹くわけもない。まさか大きな虫でも這っているのかと床を見回したがそれらしいものはなかった。ささいな違和感を遮断するように魔王の低い声がした。
「先ほどそなたから電話が入った」
「電話?」
 私はきょとんと目を瞬かせて、それから首を捻った。
「してませんけど……」
 垂らされた前髪の隙間から銀色の目がぎらりと光る。
「嘘を申すな。余に助力を求めたではないか」
「ほんとにしてませんよ電話なんて。何かの間違いじゃないですか?」
 全く身に覚えがない。母か祖母と勘違いでもしているのかと一瞬考えたものの、さっきまで瀬野家は総出で筍の水煮と格闘していたのである。誰も魔王と連絡など取っている様子はなかった。ある意味、こうして頼み事をするならばむしろ取れという気はする。
 けれど対峙する魔王の表情は和らがない。詰問は続く。
「ならば何用で参った」
「あ、ちょっとお願い事が」
 やっと本題に入れる。私はやや前のめりの姿勢で瓶詰を披露しようとしたのだが、魔王の方がわずか早かった。
「そら見るがいい。やはりそなたではないか。誇りをかなぐり捨て愚かに這いつくばり縋りついてきたのであろう」
 ふふん、と魔王はどこか勝ち誇ったような笑みを口の端に乗せた。誰がいつ瓶の蓋ごときで愚かに這いつくばってきたというのか。だが魔王は断定して譲ろうとしなかった。
「電話って、どんな電話だったんですか」
 いたずら電話でも受けたのではなかろうか。
 今では殆どなくなったが、取った直後に切れたり応答がなかったりといわゆる無言電話に悩まされていた時期が私にもあった。一度始まると、相手が飽きるまで続くのが厄介な点である。我が家の場合、苛立ちのピークに達した母が「次かけてきたらお前の眼球で卓球するぞ」と叫んだ挙句、受話器をメンコのように叩き付けて以来、途絶えた。
 記憶を辿っているのか、思案顔の魔王は指先で顎をなぞった。鶴を折る際に切り揃えられた爪は今やすっかり禍々しい長さを誇っている。すぐに伸びるという弁は嘘ではなかったようだ。やがて爪は顎から離れ、私の方を指し示した。
「カオリ、そなたが」
「私が」
「大層取り乱した様子で」
「取り乱した様子」
「これに限らず落ち着きがないのはそなたの常であるが。全く嘆かわしいことよ」
「ここで説教はいいので続きを」
 風向きがよからぬ方へと変わるのを制し、私は先を促した。魔王は一度私を冷ややかに見つめた後、視線を切った。
 そして、静かにこう告げた。
「至急、100万ほど用立てて欲しいと」
「詐欺だー!」
 人は驚いた時、言葉を失うか、自然と腹から声が出るものだ。本日は後者だった。私のやけに正しい発声が耳障りだったのか、眉間にわずか皺を寄せた魔王は騒々しいと言った。
「騒々しくもなりますよ。詐欺ですよ。お金騙しとられるんですよ」
 誰もがよく知る、世にもポピュラーな詐欺である。オレオレ詐欺だの振り込め詐欺だの名称は様々な変遷を辿ったが、中身はそう変わらない。電話で相手の家族や知人になりすまし金品を奪う。当たり前だが悪質な犯行だ。
 私がまくしたてると魔王の顔はますます怪訝なものになった。
「カオリそなた詐欺を働くまで堕ちたか」
「なんで私か!」
 思い余ってテーブルを殴ってしまった。とんでもない濡れ衣を頭から被せられたものである。
 連日のようにニュースで取り上げられ、回覧板でも注意喚起のお知らせが配られるなど、周知は徹底していたはずだった。
 これだけ騒がれているのに被害が後を絶たないとはと報道の度に首をかしげていたのだが、今まさにその実例がここに。忍び寄る犯罪の足音に顔が自然と強張った。
「いいですか魔王さんは騙されるところだったんですよ」
「馬鹿を申すな。人間風情に余が出し抜かれるはずもない」
 年寄りの口車に乗せられて鶴100羽折らされたのは一体誰だったかを少し考えた方がいい。
「だいたい考えてもみてください。私が魔王さんに100万もの大金を電話一本で都合させるわけないじゃないですか」
 魔王に返す当てのない借金。世間に極力手を出してはいけない悪質な消費者金融は数あれど、それを上回るリスクに満ちた選択肢である。臓器を売る以前に魂を差し押さえられること請け合い。
 有り得ない、と主張する私を見つめる魔王の目は秋風よりも冷えている。  
「そんなことはわかるまい。人間という生き物は差し迫ればどのような真似もする」
 魔王の目線が逸れた。その先には沈黙している電話機がある。
「電話口のカオリは申していた」
「だから私じゃないというのに……何て?」
「商談相手の車で横転事故を起こした上、その伴侶を孕ませたと」
「よくそれ信じましたね」
 むしろ何故信じた。もしかして、と判断を迷わせる要素はどう聞いても皆無。おととい来やがれと叩き切っても罰は当たらなかったろうに。
「事故はともかく孕ませたのあたりで疑って下さい」
「さてはそなた本人ではなくひょうろく玉が起こした不始末かと」
「う、うちのお父さんはそんなことしないもん!」
 カッとして声が上擦ってしまった。
 それにしても盛りすぎた感のあるその不祥事、始末をつけるのに果たして100万で済むのだろうか。
「ところで、何で私だと思ったんですか? 名乗ったんですか?」
 落ち着いて考えてみると気味が悪い。こんな詐欺を働くような輩に素性や魔王との関係を把握されていることになる。どこから漏れたのだろう。田舎は都会に比べて警戒心がゆるくプライバシーに疎いせいか、個人情報は守られにくいのかも知れない。
「ふむ。最初の第一声は」
 少しばかり不安げな私の問いかけに、魔王は淡々と返す。
「もしもし俺だよ俺、と」
「ねえ本当に何で私だと思ったんですか」
 一人称おかしくないか。
 更にいえば、時々言葉遣いが乱れる自覚があるとはいえ、三枝さんでもあるまいし魔王に対してここまでフランクな呼びかけは私にはまだできない。
 魔王はよく見せる例のドヤ顔で「勘が働いた」と謎の発言を残した。いや、確実にその勘、休暇を取っている。
「それだけで私だと判断するのはあまりにも、」
 そう言いかけたところで、魔王はぴしゃりと「それだけではない」と断じた。
「一向に名乗らず俺を繰り返すゆえ、カオリかと問えばそうだと答えた」
 何のことはなかった。敵が巧妙でも入念でもなかった。獲物が自分から罠に飛び込んで行っていただけのことだった。
「カオリそなた男のような声であったぞ」
「カオリ違う」
 ずいぶんと野太くガサついた声だったという。それは男のようなではなく男だ、間違いなく。違和感はなかったのかと詰るように言うと魔王は小首をかしげて見せた。
「風邪を激しくこじらせたと」
「相手も攻めますね……」
 聞くところによると、急に過剰な女言葉になったらしい。設定に無理が生じても尚も諦めず食らいつくとはなかなか根性があるが、商談相手だの孕ませただのシナリオの修正を図れなかったあたり、お粗末と言わざるを得ない。しかし今回、騙される側のお粗末のレベルがカンストしていた。

――どうしよう、もう駄目かもしれないわ、わたし、ああ、わたし(泣き出す)
――無様に取り乱すでない。這いずりさんが来るぞ。
――え、は? 這いずりさん? 
――そなたカオリであろう。
――カ、カオリ。そう私カオリ。這いずりさんね、うん、そうそう這いずりさん、超知ってるわ。
――ぐずぐずと泣き崩れる前に用件を申せ。
――カオリお金が要るのすぐに要るの。お願いすぐに必要なの。
――いくほどか。
――五十万よ。すぐ用意できる?
――そのようなはした金、造作もない。
――マジで? やっぱ百万。
――よかろう。首を洗って待っていろ。

「チョロすぎると思います」
 会話の一部を聞かされた私の、簡潔かつ総合的な感想である。言いたいことは山ほどあれど、ひとまず口にしなければ気が済まない。
「丁度そなたがやってきたゆえ、その旨を述べたところで切れた」
「まあそうでしょうね切るでしょうね」
 なりすましていた最中にご本人様登場のサプライズとなれば、いかに厚かましくとも押し通すのは難しいだろう。ここで更に「私カオリ?」が貫けたら、敵ながら天晴であると褒めてつかわしたい。そして殴打したい。
「別の地から助けを求めてきたはずの娘が余の屋敷の呼び鈴を鳴らす、とは妙なことだと」
 それで開口一番「魂分断の術」などと頓珍漢なことを尋ねてきたわけである。そこで騙されたと思わないのが流石は魔王。己に自信がありすぎる。
「繰り返しますがそれ私じゃないです。別人。偽物」
「同一ではないと」
「だから何度もそういっているのに」 
 しかし危ういところだった。
 話だけ聞くとこの犯人、あまり手練れとは呼べないようなので、いずれどこかでボロを出して犯行は未遂に終わっていたかも知れないが、魔王による器の大きすぎる応答を考えると最悪のエンディングを迎える可能性も否定できない。こうして私が訪ねてこなければ、母が私を追い出さなければ、更に言えば筍の瓶の蓋がかたくなければ、魔王は大金を悪漢どもにむしりられていたかも知れないのである。結果として、私は魔王を助けたことになる。ギリギリのタイミングで隣人の貯蓄は守られた。お手柄と言っても過言ではなかろう。
 
 だいぶ慣れてきたとはいえ、未だ魔王の生態は不思議が多い。
 来客に関しては不必要なまだの猜疑心を見せるというのに、どうして電話では砂糖菓子のように甘くゆるくなってしまうのであろうか。
 経済観念と同じく、警戒心のバランスも崩れているのかと遠い眼差しでマッサージチェアを眺めてしまった。私も少しは学習したので、あれに乗りたいなんてもう言わないよ絶対。
「となれば見極めねばならぬな」
 ようやく騙されかけたことを自覚したのか、魔王は神妙な面立ちで頷いた。私はいくらかほっとした。人を疑わないということはある意味才能であるし長所でもある。
 魔王の与しやすさがあまりにも酷かったのでつい忘れそうになってしまったが、部下の窮地に100万もの大金を躊躇なくぽんと貸し付ける上司としての一面、これはちょっと感動なのではないか。美談として語られてもいいのではないか。ただし利率がいくらかは考えないものとする。
「そうですね。ここらへんはのんきなもんですけど、それでもやっぱり物騒になってきたので」
 気を付けてくださいよ、と私は続けようとした。が、しかし、魔王の発言によって、のちに続く言葉を奪われた。
「果たしてどちらが真のカオリか」
「え」
 もう一度言おう。
 え?
 瞠目した私を見据える魔王の瞳は、先に出迎えた時と同じ冷え冷えとした温度を孕んでいた。
「今なんとおっしゃいましたか」
「風邪をこじらせたと」
「いつの話してんですか、もっとその先、もっと直近」
 テーブルを叩いて促せば、魔王は機械仕掛けのように繰り返した。
「果たしてどちらが真のカオリか」
「そうそこ。真のカオリとは」
 当人を目の前にして、魔族の長は何を言っているのか。何を言ってくれちゃっているのか。
 それとも今の私はまだ進化前の状態で、いずれ真・瀬野夏織という風にレアリティでもあがるのだろうか。
 私の方に首を伸ばした魔王は鑑定士のように目を細め、重々しく告げた。
「電話のカオリと今ここにあるカオリ、本物を見定めねばならぬ」
 事件は何も終わってはいなかったのである。
 疑惑は晴れたと思っていた。この話はここでピリオドが打たれるのだと思っていた。しかし魔王の中ではまだ決着がついていなかった。
「なんでそうなっちゃうんですか! 見ればわかるじゃないですか! どう見てもこっちが本物でしょう」
「知らぬのかカオリ。いやカオリ仮よ」
「カ、カオリ仮?」
 言いにくい。
「魔の国では姿形を真似て誑かすなど悪しきものなど珍しくもない」
「魔の国の常識を語られても」
 魔王の地元ではどうか知らないが、ここでは私が知る限り、魔王以外はだいたいが人間と呼ばれる種族で、羽もなければ目も光らず、擬態するスキルは持ち合わせていないのが一般的である。見たままを信じてもらうしかない。
「擬態も何もこの姿で16年瀬野夏織として生きてきた身としては、信用して下さいとしか言えないんですけど」
 曇りなき眼で訴えかけてはみたものの、魔王の値踏みするような目つきは変わらない。瓜二つの相手が現れたならまだしも、何が悲しくてろくすっぽ演技もままならぬような安い詐欺師(しかも野太い声)と張り合わねばならないのか。私は腹立たしくなってきた。いや正直に言えば、結構前から腹立たしかった。
「部下の見分けもつかないとは魔王さんの見る目はどうなっているんですか」
 チクリと刺せば、魔王はわずか顔をしかめた。
「そなた風情には考えが及ばぬだろうが、余のような立場ともなれば慎重さが求められる」
 まず怪しさしか搭載していなかった電話に対して慎重さを発揮するすべきだった。物言いたげな視線を送ると、魔王はそれを払い落とすがごとくその場に立ち上がった。
「余の臣であるならば」
 何故か大仰にマントを大きくひらめかせて。 
「ここで身の潔白を証明してみせよ」
 君臨した魔王は過剰なほどふんぞり返った。
「ど、どうやって」
 たじろぎ答えると、見下ろしたままの魔王は瞬きを一つ返した。魔の色を乗せた目が思いあぐねるように宙をなぞる。威勢よく口走ったものの、具体的な案はなかったようだ。
 魔王の視線が天井にはりついてから数秒。やがてゆっくりと落ち着きを含みながら下りてきた。
「カオリ、そなた好む食物は何か」
 なるほど。本人である証明として質疑応答は有効かもしれない。一旦納得しかけて、ふと気付いた。
「……そもそも魔王さんは私の好きな物しってるんですか」
「知らぬ」
 意味ねえ。
「いいから答えぬか」
 そうせつかれても咄嗟に出てくるものではない。私は最近の夕食の献立やよく出るおやつなど、思い浮かべては唸った。
「えーと、酢豚かな……レンコン入りの……あと、こしあんとか、カステラとか、魚卵です」
「ほう……」
 返事したきり、魔王にこれといった反応はない。それもそのはず。私の好物ランキングなど魔王が知る由もないのである。
 私の回答を前に沈黙していた魔王は、やおら口を開いた。
「余は鶏の串刺しを好んで食す」
 聞いてもいないのに唐突に自分の好物をアピールしてきた。
「焼き鳥なら……私はネギまが好きです」
「はらわたの寄せ集めも悪くない」
「モツ串と言ってください」
 基本的に塩派だが、モツ串とつくねに限ってはタレを所望する、というようなことを魔王は語った。同感だったので、私も静かに頷いた。つくねとモツ、それからレバーは少し濃いくらいのタレにたっぷりと絡めて頂きたい。贅沢を言うなら、つくねには卵黄を添えて頂きたい。
 これはただの雑談である。食の好みを発表するだけの会。
 ひとしきり串物に思いを馳せた後、私はおもむろに魔王を見上げた。
「これ、身の潔白に繋がったんでしょうか」
「繋がるわけがなかろう」
 そうですね、と、誰のせいだ、という二種類の思いが心の交差点を行き交う。
 魔王は少し考える素振りを見せてから、私に新たな問いを寄越した。
「ならば不得手な食は」
 またも成果が期待できなさそうなのが来た。
「いやだからお互いに答えを知らない問答をしても」
「余が好まぬのは、」
「そしてなんで魔王さんから発表しちゃうの?」
 言いたいことを言う時の魔王は、人の話が耳に入らない。こういうところは近所のお年寄りと通じるものがある。
 魔王は世の終末がよく映えそうな邪悪な美貌を歪めながら語り始めた。
「いつかサエグサが寄越した異形の胡瓜のごとき作物があったであろう」
 まだ夏の頃、三枝さんが幾度が袋詰めの野菜を配っていたことがあった。このあたりの家庭ではあまり育てていない野菜ばかりだったこともあり我が家は喜んで頂戴したのだが、異形の胡瓜?
「ズッキーニ……?」
 形として色として最も似てると思われる野菜を上げれば、もっと悪辣な名だ、と魔王は首を振った。悪辣な名の野菜とは果たして。
 その時、ズッキーニとともに袋の中におさまっていたゴツゴツとした手触りの南国の実が私の記憶を刺激した。
「あ、ゴーヤ」
「然様」
 言い当てなければ良かったと後悔の念を抱かせる、それはそれは嫌そうな頷きが返った。
「ゴーヤ嫌いなんですか」
「嫌い? は、生ぬるい。怨敵と呼べ」
 たかだか野菜相手に、吐き捨てるような言い方が子どもじみていて、私は少しだけ笑ってしまった。
「ちょっと苦いけど爽やかでおいしいじゃないですか。うちはチャンプルーにして食べましたよ」
 魔王は忌々しそうに顔を歪めた。
「おぞましい。自ら嬉々として貪るとは気が知れぬ」
「でもピーマン好きなんじゃなかったでしたっけ。あれも苦いのに」 
「同列に語るか愚か者。あれは苦味などではない、地の果ての沼地をも枯らす、死によく似た不死の毒草よ」
 結局死なのか死じゃないのかなんだか全然よくわからないが、とにかく毛嫌いしているのは間違いないようだ。実は一度、我が家でゴーヤチャンプルーを作りすぎてしまった際、おすそ分けしようかという話が出たことがあったのである。私のお弁当に大量に詰めることで立ち消えとなったのだが、今となれば本当に持っていかなくて正解だった。怨敵とまで称する対象を皿に持って運んできた日には、最悪その場で石にされる。
「して、そなたは」
 ゴーヤへの呪詛を吐き切って満足したのだろうか。魔王は尊大に顎で私をさした。次はお前だと目線が促す。
「私はアボガドがだめです」
「何故」
「なんかまったりしてるじゃないですか口あたりが。野菜にあるまじき食感」
 美容にもいいとのことで女性から支持を集めていると聞くが、あいにく私には当てはまらぬ話である。森のバターと世間ではもてやされているものの、少々野菜としてフレッシュさが足りないのではないか。何かと海老とタッグを組まされている点も気に食わないひとつである。海老は好きだというのにアボガドのせいで。
「あの滑らかさがわからぬとは未熟な舌よ」
 苦いという理由でゴーヤを目の仇にする御仁がそれを言うのだ。説得力も裸足で逃げる。
 しかしアボガドを擁護する者は皆口をそろえて滑らかだとか濃厚だとかいうので、私は少し面白くない。反論する口は自然と尖る。
「滑らかっていうか、押しつけがましいクリーミーさっていうか。呼んでないのに来る客みたいな」
「ふっ……」
 魔王は短く蔑みの笑みを漏らしたあと、アボガドと海鮮との相性の良さを回りくどく説いた。西洋かぶれの簀巻き(カリフォルニアロールと判明)がなかなか美味なのだという。いつ食べたんだ、出前の寿司屋が一軒しかないこの町で。
 そして魔王は最後に海老との組み合わせのハーモニーを称え、悦に入っていた。私が一番許せない組み合わせである。
 焼き鳥については概ね一致したが、アボガドとゴーヤについては意見は合わない。相違を知るのは無駄ではない。お互いを知るには良い機会ではあったと思う。それは違いないが。
「あの、私が本物とわかっていただけたのでしょうか」
 今の主題はそこなのである。ゴーヤとアボガドについて意見を戦わせたいわけでも串物の好みを語りたいわけでもない。
 魔王の目の動きが一度だけ止まった。その後、妙に大きく発せられた「ふうむ」という唸り声に、どこか芝居がかったものを感じた。さては途中から主旨を忘れていたな。妙にゆっくりとした所作で腕を組んで見せた魔王は私を尊大に見下ろして。 
「愚か極まりない応答の数々、カオリに似てぬこともない」
 似てるも何も本人である。半ば忘れていたようだし、そろそろ認めてくれてもよいのではないか。
「じゃあもう本人ってことでいいですよね?」
 しかし魔王は大人しく首を縦に振ってはくれない。
 すでに目の前の私が本物と勘づいているのだろうが、一度大々的に疑ってかかった手前引くに引けなくなったのだろう。なし崩しに取り消すのは、魔王としてもプライドが許さないというところか。
 何かきっかけとなる、わかりやすい証明と考えて見回すと、テーブルの隅で重ねられているいつぞやの折り紙が目に入った。これだと膝を打つ。
「魔王さん、本物である私は折鶴が折れます」
 我ながら妙案だ。質疑応答が身の潔白を証明する前にグダグダになるということは先ほどの一件で知れたし、折鶴なら恩を売った最近の出来事として比較的記憶に新しいだろう。何より形としてわかりやすい。
 私は折り紙を手に取って、返事も待たず折り始めた。さして時もかからぬ内に一羽が完成した。
 恭しく捧げると、魔王は手に取って深く頷いた。薄い唇から感嘆の声が漏れる。
「ふむ、この皺ひとつない造形美。確かにカオリ唯一の取り柄」
「唯一じゃないし。もっとあるし」
 私が手ずから折った鶴を魔王が眺めているその時である。
 再びカサカサと音がした。
 今度は聞き間違いではない。はっきりと両耳で拾った。風の音でもない。虫が這う音でもない。それは質量を増し、存在を伝えながらやがて姿を現した。
 魔王の背後に、小鳥の群れ。
 いや、いつかこの邸宅から飛び去って行った折鶴の群れ。
「魔王さん、それ」
 私が目を丸くしながら指をさすと、魔王は飛び回る鶴達を一瞥し、何でもないように「ああ」と言った。
 魔王が無意識の内に魔力をこめてしまったせいで意思を持ち飛び立ってしまった折鶴らだったが、山形さんが退院したのち、仕事は果たしたとばかりに勝手に戻って来たそうである。病院のベッドに伏せっている間、これがずっと周囲で羽ばたいていたのだと思うとなかなか気が休まらなかったと思うが、山形さんの体は大丈夫だったのだろうか。
 鶴は忙しなく魔王の周りを飛び回る。魔王は片手を振ってうるさそうにそれらを払った。
「恐れずともよい。いくらも力を持たぬ使い魔以下よ」
「超ついばまれてますけど」
 小さな嘴が魔王の髪といわず角と言わずつつきまわしており、主と従者という上下関係はいまいち感じられない。魔王も一応、大人しくせぬか、と凄んではいるのだが、のれんに腕押し。幼児の集団のように一つも言うことを聞く気配がないのである。常に従順であるカラスとは雲泥の差だ。半端に入れてしまった魂は、魔王も扱いきれないということだろうか。
 それにしても、少々たかられすぎである。まるで夏場に放置した果物の皮と蠅。先ほどまで存在を感じなかったほど大人しくしていたというのに、と首を傾げる思いで見ていたが、鶴が興味を示しているのは魔王そのものではないことに気が付いた。
 折り鶴だ。私が折ったばかりの鶴である。
 魔王も同じタイミングでそれを察したのか、鶴と私に目線を投げた。
「ほう……そなたの折鶴が気に入ったとみえる」
「ほ、ほほう……?」
 折鶴に見初められたのは初めての経験なので、若干反応が鈍る。誉と思うべきなのか?
「それは、良かった?」
 と言いかけて、あまり良くないことだと正面の顔を見て悟った。魔王はやや微笑んでいたのである。口角を薄らと持ち上げて。
 こういう表情を見せる時の多くは、魔王にとって都合が良く、私にとって都合が悪い。
 弧を描いた唇は言葉を引き連れて開かれた。
「鶴は鶴に従う」
 魔王は手にしていた赤い鶴をゆっくりと私に差し出した。
「そなたの鶴に従うということは、この一軍はカオリ、そなたが率いるが道理」
「ちょっと待って」
 託された途端、魔王の傍で羽ばたいていた蠅、いや鶴が一斉にこちらに飛んできた。勢いのあまり、顔面に2、3羽衝突した。
「なんでそうなるフグウ」
 口を開けば遅れて1羽突っ込んでくる。この群れ、統率というものがまるで取れていない!
「こんなの任されても困ります」
「それ決めるのは余ではない。奴らよ」
 苦み走った台詞とは裏腹に、魔王の顔には、厄介払いできた、という正直すぎる心情がありありと描かれていた。駄目だ。相当嬉しそうだ。憎たらしいほどだ。
「さ……さっきまで人のこと散々偽物とか言っておいて!」
「姦しい。そなたの鶴が怯えるぞ」
「私のじゃない! 勝手に譲渡やめて!」
 紙の翼の羽ばたきが何重にも聞こえる。巣を守る蜂の兵隊のようにぐるぐると飛んでいるのだ。このままでは本当にこのわけのわからないチーム鶴のオーナーにされてしまう。私は手の中の折鶴を魔王に放り投げて、逃げるように魔王の屋敷から出た。
「次は助けてあげませんからね! 100万でも200万でも根こそぎむしりとられてしまえ!」
 捨て台詞を吐きながら、そのまま家まで走って帰った。髪や肩を払い、鶴が絡みついていないのを確かめ、ほっとしながらドアを開いて数歩、コードレスの受話器を手にした祖母が慌てて飛んできた。
 
「ねえ大変、魔王さんがバイクで新宿のビルに突っ込んだから30万至急用立ててほしいって!」
「詐欺だ―!」


 そして数刻後、瓶の蓋を開けてもらうのを忘れたことに気付いた。そもそも、瓶を魔王宅に置き忘れていた。
 母にせつかれ引き取りに戻った私は、結局鶴にたかられるのであった。



  
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