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16話目 / 鶴の巻




 回覧板が届けられたのは、ついに明日で父の短い休暇が終わる、という時である。
 父が不在だったのは都合が良かった。
 ちょうど少し前に、コンビニに牛乳を買いに出たところだったのである。散歩がてら、という軽い気持ちで出かけて行ったあたり、父が赴任先で都会の絵具に染まってしまったことがうかがえる。なぜ徒歩を選んでしまったのか。距離を考えて一時間弱は帰れるまい。
 ともかくおかげで回覧板は父の目に触れずに済んだ。
 万が一居合わせていたなら、回覧板を回す!? 馬鹿を言うんじゃない、魔王の根城だぞ! こんなもの! こうして! こうだ! と魔王宅を飛ばして三枝さんのお宅へ届けていたかも知れない。
 町内会費を納めている以上、等しく情報を共有する権利を有しているのである。魔王であれなんであれ、つまはじきはよろしくない。

 あれから父と魔王の間柄に、とりたてて変化はない。一度できてしまった二人の溝は、そのまま埋まることはなかった。
 あの日のやり取りで、すっかり父の心は天野岩戸のごとく閉ざされてしまい、びくともしない。
 魔王が夏織をたぶらかそうとしている、という切迫した父の訴えに対して、母が「うけるー」の一言だったのも、天野岩戸の立てつけが悪くなる原因のひとつだったのではないかと思う。
 家族が総出で宥めたりすかしたりすれば良かったのかも知れないが、あいにく我が家にはウメノウズメの役割を担う者は誰一人としておらず、岩戸は頑なにロックされたままである。もはや岩戸ごと爆破でもしない限り開くまい。
 狭い町内、隣近所との関係を悪化させるのは好ましいことではない。
 しかし休暇とはいっても五日ほどの短い帰還だ。その程度であれば直接顔を合わせる機会も少ないし、無理につついても更にこじらせるだけだろう。
 困ったもんだなと思いつつも、私はあえてあまり隣人の件には触れぬまま、買い物に出かけたり賞味期限切れの食品を捨てたりと父との遅い夏休みを謳歌した。
 幸い魔王はその間、訪ねてくることも私を呼びつけることもなかったので、比較的穏やかな時間を過ごした。

 しかし回覧板が来たからには届けねばならない。
 受け取ったばかりのバインダーを開いてぺらりとめくる。
 白い用紙に踊る「廃品回収のお知らせ」の文字。
 珍しく大事なお知らせである。ゆるい内容、平たく言えば見過ごしても支障なしとされる告知が多々ある中、重要な部類ではないか。
 改めて父の不在に胸をなでおろし、玄関先で鈴木さんと話し込んでいる祖母に一声かけて、私は隣家へと小走りで向かった。

 近所仲がどうのとは言っても、一方的に父が騒ぎ立てているだけにすぎない。
 魔王の方は砂粒ほども相手にしていないのは先日の様子でわかっていたので、私はいつも通りの心構えで隣家を訪ねた。
 が、予想に反して、出迎えた隣人はいつも通りではなかった。扉から覗いたその顔には、普段よりやや濃い目の悪そうな笑みが浮かんでいたのである。

「飛んで火にいる夏の虫」

 口の端を持ち上げた魔王は、身なりにふさわしく悪役らしいことを言った。
 のっけから不吉なお出迎えに、私の足は自然と一歩後退した。魔王の縁起の悪い笑みはずいぶんと見慣れているが、その分悪い予感もよく働くのである。炎に身投げする前に、夏の虫は退散しよう。

「回覧板どうぞ。じゃあ、私このあと予定があるんで。もやしのひげ取りとか」
「待て」

 魔王の手は回覧板を通り越して、私の手首をつかんだ。無論まだチェーンがかかっており扉はわずかしか開いていない。おかげで隙間から伸びた青白い手に引っ張られるという、十中八九怪談として通用するであろう絵面が展開された。

「五体満足で帰れるなどと思わぬことだ」
「たかだか回覧板でその覚悟いりますかね」
 
 扉の前で押し問答(いや引かれているけど)をすれども、魔王を振り切れる力など私にあろうはずもなく。

「潔く現世に別れを告げよ」
「わかったわかりましたからまずチェーン外して!」

 このままでは腕だけ持っていかれる。
 いくら熱心にお招きを受けても、15pの隙間からお邪魔するのはそれこそ五体満足では無理だった。



「それでなんなんですか」
 
 のこのこと魔王の居城に上がった私は、いつものように例のスリッパに足を入れて玄関を抜けた。

「ついて来るがよい。見ればわかる」

 魔王はそう言って、リビングの扉をゆっくりと開けた。
 目の前に、これまでの見知ったものとは違う光景が現れた。丈夫そうなつくりの黒くがっしりとした一人掛けの椅子が一台。ソファから離れた位置に置かれている。私は一目で悟った。

「マッサージチェア……!」

 圧倒的な存在感がそこにはある。ベージュやモスグリーンなど落ち着いた色調でまとめられている室内に、どんと居座っているような風格すら漂っていた。
 目新しさに私は駆け寄った。届いたばかりと思われるそれは、横にぶら下がっている説明書さえもぴかぴかと艶を放ち、背もたれからは真新しい革の香りさえした。
 中古などではない。これは確実に新品。更にいえば最新型。 

「買ったんですかーうわー」

 興奮のまま思わず撫でまわす。店頭に並べられているのを目にしたことはあれど、身近な知り合いが持っていたことはない。ピンキリとはいえ、決して安い買い物ではないだろう。

「カオリ、ひとつ忠告してやろう」

 振り返った先で、悟りに近い静かな表情をした魔王が言った。

「草木も眠る丑三つ時に浮かれた通信販売の電波など決して見てはならぬ。あれは魔の刻限」
「ああ……そういうノリで買ったんだ……」

 早寝が常である魔王だが、たまたま目が冴えて床から抜け出した夜更けに起こった事故であったという。深夜の通販チャンネルは思考や感覚を麻痺させると聞く。太陽の下であればじっくり熟考するであろう買い物も、助走なしで購買意欲に火がつき、受話器を取らせるのだそうだ。
 愚鈍な人の子はおろか、魔王の心の隙までついて購入に至らせるとは通販の魔性に戦慄するしかない。
 私の生暖かい目線に気づいた魔王は、ひとつ大袈裟に咳払いをした。

「早合点するでない。こたびは敵の策と承知で乗ってやっただけのこと。倦み疲れた身をほぐす為、前々より買い入れる算段は整えていた」
 
 だから衝動買いじゃないもんね、と主張したいのだろうが、歯切れも悪いし言い訳がましい。常日頃、人をつかまえてやれ貧弱だ脆弱だと罵っておきながら、自分はマッサージチェアに頼っているという矛盾も気になる。疲れてるじゃん。もみほぐされたいと思うほどには疲れてるじゃん。
 しかしこのマッサージチェアの高級感ときたらどうだろう。背中や肩はもちろんのこと、二の腕やふくらはぎ、果ては足の裏までコースが用意されている。これは、もしかしなくても、相当なお値段。
 
「大丈夫ですか、これすごい、高い」

 人の買い物の金額を尋ねるなんて野暮な真似はするつもりはないが、こんなものを勢いにまかせて買ってしまう隣人の懐具合が心配にはなる。つい片言になるくらいには。
 魔王は目を眇めた。

「そなた魔王という立場をなんと心得ている。腰掛のひとつやふたつで揺らぐ身代ではないぞ」
「そうなんですか?」
「余の蓄えを知らぬのか」

 そう高圧的に質されても知るわけがないのだった。魔王の手取りが月いくらなのかと思いを馳せる瞬間はこれまでの私の人生に一度たりとも舞い降りなかったし、知る機会も訪れなかった。

「お、おいくらほど」
「おいそれと明かせるわけがなかろう痴れ者」

 じゃあ話を振るなよ、という思いを込めて私は心で瓦を割った。
 食費を節約するかと思えばぜいたく品には糸目をつけない、魔王の一貫性のない金の使い方には日ごろから首をかしげていたが、それは経済的な事情というわけではなく性格的なもののようだ。懐自体はずいぶんと余裕があるとみえる。
 高級車の座席のようにも見えるそれを感嘆しつつ眺めてから、私はちらっと視線で魔王を窺った。

「あのう、これ乗ってみてもいいですか」

 一度ためしてみたかったのである。
 ご自由にお試しくださいと書かれている店頭マッサージ機は、心からくたびれた風情の中高年の男女が本当にご自由にお試ししているのが常なので、割って入るには相応の勇気がいるのだ。
 
「まあよかろう」

 案外あっさりと使用の許可が下りたので、おそるおそる乗り込んで体を預けてみた。スイッチを入れると座席部分が蠢き、頼んでもいないのに全身の測定が開始される。これはすごいぞ、話が早い。
 おおまかな操作はリモコンで行うらしいので、探してみるも見当たらない。手元をきょろきょろと二度ほど見回して気が付いた。魔王が持っている。
 
「あ、それ貸してくださ」

 ぴっ。
 言い終わる前に、魔王の指はなんらかのボタンを押した。途端、マッサージチェアは作動音を響かせて、私の二の腕やふくらはぎ、つま先に至るまで拘束した。

「え」

 なぜ押した。そして何を押した。
 
「リモコン、リモコン貸してください」

 声をあげるも魔王に手離す気配はない。
 もしやまるきり初心者である私に代わって操作してくれているのだろうか。椅子にホールドされつつ、そう前向きに考えてみたりもした。
 いや違う。絶対違う。そんな紳士の顔してない。どう考えても、新しいおもちゃを手にした子供の顔の方が近い。
 手足は頼もしいまでにしっかりと固定されている。動けない。椅子側でも解除はできるのだろうが、初めて乗った身ではそんなもの見つけられない。
 気付けば椅子の横にかけられていた説明書まで魔王の手元にあるではないか。
 羨望のマッサージチェアが急に拷問危惧に思えてきた。 目の前の邪悪な黒づくめにリモコンという名の運命を握られている。

「案じるな。全てを余に委ねよ」
「これが案じずにいられようか。自由をください」
「贅沢なやつめ。ならばせめてそなたには施術の過程を選ばせてやろう」

 死に方を選べ、みたいな不吉な調子で言われた。
 魔王の低い声が、説明書に記載されたコースを朗々と読み上げる。

 眠りにいざなう心地よさ、リラクゼーションコース。気になる部位を集中ケア、徹底もみほぐしコース。疲れた体を隅々まで、全身コース。従来のマッサージでは物足りない力強さを追求した刺激的なハードコース。

「リラクゼーション! リラクゼーションで!」

 果たして私の強い訴えは届いたのだろうか。
 ぴっ。
 魔王の手元が動いた。何を押したか、こちら側からリモコンの裏側しか見えない。
 耳元で機械じみた音声が囁いた。

――ハードコースを開始いたします
 
「おい!!」

 思わず敬語が屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで壊れて消えた。

「選ばせてくれるって話はどこにいっちゃったんだよ!」
「余は未だその施術の威力を身に受けておらぬのだ」
「答えにも理由にもなってないね!? とにかく今すぐ止めイッテエエエ」

 ハードコースは看板に偽りなく、まことにハードなコースだった。揉むというより握りつぶすといったパワフルな衝撃が私の肩と言わず背中と言わず襲った。十代の、まだ凝りの真髄をしらぬ若い肉体には理不尽な暴力でしかなかった。
 私の断末魔の叫びにさすがの魔王も仏心を出したか、数分で中断してくれた。逆に言えば数分は様子を見ていたということである。あの体には何色の血が流れているのだろう。
 ようやく解き放たれた私は、生まれたての仔馬よりも震えた足取りで脱出した。マッサージを受ける前の方が身も心も絶対に健やかだったと断言できる。

「どうだ、その身で味わった、はーどこーすとやらは」
「見ればわかるでしょう……修羅の味でした」

 魔王は特に驚くでもなく、あ、やっぱりとでも言いたげな顔で見下ろしていた。私はやはり生贄だったようだ。
 この魔王め覚えてろ、と歯噛みする思いとは反して足腰ががくがくしている。今なら豆まきの豆を食らっても撃破されかねない。
 私はずるずると這いつくばるようにマッサージチェアから離れて、それからふと気づいた。その存在感に惹かれて目に入らなかったが、椅子を置くには位置が不自然だ。ソファと重なるような、ともかく適したとはいえない場所にある。

「どうしてわざわざこの場所に?」

 邪魔にならないかと問えば大いに邪魔になるのだと魔王は答えた。

「だが障りあるゆえ致し方ない」

 そう魔王が指さしたのはコンセントからピンと伸びたコードだった。なるほど電力を得るのにコードの長さが足りないのか。

「延長コード使えばいいのに」
「なに……?」
「持ってないなら、うち何個か余ってるからあげますよ」

 あっさり私が口にした一言に、魔王はうむうむと満足げに頷いていた。うちよりもはるかに大きなテレビがあり、贅沢を極めたマッサージ器を所有し、ブルーレイまで導入しているくせに延長コードの恩恵に預かることなく過ごしてきたようだ。それは地味ながらもなかなか不便だったことだろう。

「私に用ってこのことだったんですね」

 酷い目に遭わされたものの、案外簡単にカタがついたなと私は安堵した。が、魔王は頷いてはくれず、そのような些末事ではないと断じた。

「そなたに任ずるはこれよ」

 魔王は無造作に置かれていた紙袋をつかんだかと思えば、ひっくり返して中身をばらまいた。様々な色紙をぐしゃりと握りつぶしたような塊が、いくつかテーブルの上に転がりながら落ちる。
 
「なんですかこれ」
「見てわからぬか」

 わからないから聞いている。私の目には紙くずにしか見えないのだが、ゴミと言ってはいけない空気を感じた。

「物知らずな。折鶴も知らぬとは」
「折鶴……折鶴!?」
 
 思わず二度見した。つまみ上げてよく観察してみれば、嘴らしき鋭利なものが飛び出しているし、三角っぽい部位は羽に見えなくもない。折鶴は知っているが、こういうタイプとは初めて出会った。
 折鶴という噂の物体を見つめながら、うわごとのように繰り返す。

「折鶴……」
「然様、折鶴」

 本人が折鶴だと譲らないのだから折鶴なのだろう。
 しかし初対面でこれを折鶴と認識できる人がいるだろうか。折鶴と申します、と自己紹介されても尚疑う完成度である。
 魔王の主張通り、仮にこれを折鶴だとしよう。しかしこの鶴は決して羽ばたくことはない。余命わずかの瀕死の鶴。むしろ折られ鶴といった惨さがある。
 そもそも何故、魔王ともあろう者が折鶴を作っているのか。

「どうしちゃったんですかこれ」

 どうして急に鶴を折ってるんですか、どうしたらこんな鶴に仕上がるんですか、と二種の思いを込めた問いになってしまった。前者として受け止めたであろう魔王は重々しくこう言い渡した。

「カオリよ、そなた千羽鶴という呪術を知っておるか」

 呪術。

「知ってるはずでしたが急にわからなくなりました」

 ならば聞くがいい、と語りだした魔王の口からまず飛び出したのは、やはりと言おうか三枝さんの名前であった。 主に犬がらみで、普段からこの二人には交流がある。どこで覚えたんだ、という魔王の知識の半分は三枝さん経由であるといってよいだろう。妙なことを吹き込まれているのか、魔王が独自の解釈で原型を歪めているのかは定かではない。
 千羽鶴を知ったのは、たまたま魔王が回覧板を回した時に居合わせた町内会の役員と三枝さんの会話であったらしい。
 三枝さんは顔が広く、家に人を招いては麻雀やら酒盛りやらに興じているのだが、その仲間の内の一人である山形さんという方が、先ごろ体調を崩して入院したのだという。彼はまめな人物で、親しい誰かが入院すると千羽鶴を手によく見舞いに訪れていたのだそうだ。それで今度は我々が彼に千羽鶴を、という提案がなされたらしい。
 いい話だ。
 いい話には違いないのだが、山形さんと何の面識もない、たまたまそこに居ただけの魔王まで頭数に入れることはないんじゃないかと思った。
 半ば巻き込まれる形で千羽鶴の会に加えられた魔王に与えられたノルマは百羽。
 なに簡単だからと年寄り連中に丸め込まれて折り紙を押し付けられ、手引き通り折ってみたところ、考えていた以上に難航し、今に至るというわけである。
 
「一羽一羽に積年の恨みと魂を吹き込んで折るのであろう。これを呪術と呼ばずしてなんと呼ぶ」
「治癒を願って折るんですよ。積年の恨みを搭載した鶴千羽ってなんなんですか恐ろしい」

 とはいえ、これは確かに呪術を感じさせる。
 私は魔王作・ひしゃげた折鶴を見下ろした。聞けば魔王は、折り紙という遊び自体が初めてだという。幼い頃から親しんでいる身にとっては定番の折鶴も、触れてこなかった者にしてみれば複雑怪奇かも知れない。
 私は一枚の赤い折り紙を手に取った。
 
「慣れてしまえば簡単ですよ」

 しばらく折る機会はなかったが、それでも体は覚えているものですいすいと指が動く。瞬く間に一羽の鶴が卓上に舞い降りた。
 横に並べてみると先ほどの鶴がいかに悲惨であるかが浮き彫りになる。これが千羽集まった様を想像しかけて、即座に振り払った。
 魔王は私の折鶴を見て瞠目した。

「何とそなた……」

 驚愕の色をのせた瞳が、私と赤い折鶴を交互に見る。それから魔王は感じ入ったような息を吐いた。

「人間ひとつくらいは取り柄があるものよ。天もそこまで無慈悲ではないとみえる」

 一瞬褒められたと錯覚しそうになったが壮大に貶められていた。私にだって、他に取り柄くらいある。もっと沢山あるはずだ。今すぐ思いつかないだけで。

「折鶴くらいじゃ取り柄にカウントされませんよ。教えますから一緒に折りましょう」

 ソファにではなく絨毯に直接座ると、魔王もそれに倣って隣に腰を下ろした。工程を追いながらの作業は、向かいよりも横に並んで確認するほうがわかりやすい。
 それぞれ一枚ずつの色紙を手にして、私と魔王は最初の一折を手掛けた。

「まず、こうです」
「こうか」
「そうじゃない」

 初手から躓いた。
 ただ半分に折るだけだというのに、早くも豪快に三角形を破壊してきた。紳士のポケットから覗くハンカチーフのような形を成している。角と角を合わせようという意識がまるでない。どうして見ながら折ってこうなるんだ。
 私は再び魔王の目の前でゆっくりと三角を折った。線に沿って、なるべくズレのないように、と口で説明しながら。
 魔王はふむふむと大層生真面目にうなずいているのだが、先ほどもその顔だったことを考えるとあまり信用できない。
 じゃあもう一度、と促すと、魔王は先ほどとそっくり同じハンカチーフ崩れをその手で生み出した。今のやり取りからいったい何を学んだの。

 結局魔王が三角と呼べる形に折れたのは、六回目の挑戦ことだった。まだ序盤も序盤、RPGで言えばまだ家から出ていない地点である。この先、口で説明するのもややこしい繊細な指使いが求められる難所が待ち構えているというのに、この調子で大丈夫なのだろうか。
 正直、魔王に教え込むより私が代わりに全部折った方が断然早いような気はする。しかしそれでは魔王のやる気を削ぐことになろうし、私も百羽分代行していられない。
 それに下手でも歪でも、相手への真心を込めてこそ千羽鶴であろう。
 果たして魔王にとっての山形さんへの思い入れがいかほどかということは、この際置いておくとする。
 失敗を物語る皺だらけの色紙を見ながら私は魔王に尋ねた。
 
「いつまでに用意するんですか」
「早急に。時がない」

 早くしねえと先にお迎えが来ちまうかも知れねえだろ?
 そう言った三枝さんは、げらげら笑いながら魔王の背中を叩いたという。
 お年寄りジョークは、スナック菓子感覚の軽い歯触りで死に踏みこんでくるので笑うに笑えない。尻の青い若造にはまだその領域は遠すぎる。
 お迎え云々は冗談としても、確かに早いにこしたことはない。完成はしたものの、すでに病院から出たあとでは意味をなさないだろう。
 魔王はとにかく鶴を百羽用意することしか聞いておらず、山形さんとやらがどのような病状なのかも、いつ退院するのかも、ついでに言えば山形さんが誰なのかもわからないのである。ちょっとわからな過ぎるんじゃないか。
 かくいう私もまた、実のところ山形さんが誰であったか思い出せない。たぶん山形さんにとって我々も「誰だ」状態であろう。双方がよく知らない関係の中、なりゆきで折られる千羽鶴の効果やいかに。
 頭を捻ったところでフレッシュな答えが出る気はしない、考えるのはよそう。とりあえずいけるところまでいこう。
 そう私が腹をくくって腕まくりした時である。
 
 魔王宅の呼び鈴が鳴った。
 それも尋常じゃない勢いで。ピンポンのポンの出番がかき消されるほど激しく連打されている。
 私はけたたましさにぎょっとした。そして間をおかず、とある予感が背に触れた。
 悲鳴のような音色は途切れない。
 魔王は眉をしかめながらも玄関へと向かった。運び屋であろうかと呟きながら。違う、それ絶対宅急便じゃない。
 私はハッと我に返って、先を行く黒い背中を追いかけた。魔王は扉にべたりと顔を寄せ、覗き穴から外を窺っている。

「魔王さん。多分その客は、」

 そう私が後ろから言いかけた瞬間。
 
「娘を返したまえ!」

 大変馴染みのある声が、悲壮感にまみれながらドアの向かうから響いて来た。意外性はなかった。九分九厘、間違いないだろうと予感していた。コンビニから、我が父が帰還してしまったのだ。

「隠しても無駄だぞ! ここにいるのはお見通しだ!」

 ちょっと隣に行ってくると言伝を残して来たのだからお見通しも何もない。扉越しの絶叫は続く。

「夏織ー! 私だ! お父さんが来たぞ! 安心しなさい!」

 何やら相当に盛り上がっているのである。
 父は声を張り上げてはノブをつかんで揺らし、ドアを荒々しく叩いた。さながら取り立て屋か痺れを切らしたDV夫。普段は、本を読むか眼鏡を拭くかくらいの大人しい人だというのに、家族の危機となれば変わるものだ。父として頼もしい限りだが今は誤解と思い込みという不幸しかない。
 玄関前の蛮勇は続いている。
 この間ずっとピンポンは鳴りっぱなしである。リズムとしては、読経が佳境に入った時の木魚と考えてもらえれば良い。木魚ならありがたいビートも、インターホンではまごうことなき騒音。

「ここを開けなさい! 早く! 今すぐに!」
「お父さんとりあえずピンポンやめてうるさい」
「夏織! 生きてたか!」
「死ぬ要素ないよ! だからピンポンやめてって!」

 それでようやく凶器のような呼び鈴責めは止んだ。鼓膜がまだじんじんとしている気がするのは、残響というやつだろうか。隣近所がある程度離れた田舎で良かったと心から思う。
 私は向こう側の父に聞こえない程度の声で家主に詫びた。

「すいませんうちの父が……」
「そなたの父は騒がしい男だな」
「普段は冷蔵庫より物静かなんですよ」

 隣人による理不尽な特攻にもひるまず、顔色ひとつ変えない魔王のスルー力も今は救いだ。場合によっては警察を呼ばれていてもおかしくない。
 一応私の身内だと判明したことで魔王の警戒はとけたらしく、その手がドアチェーンにかけられようとしていた。
 そこで私は部屋でのやり取りを思い出した。

「家に入ってもらう前に延長コード持ってきてもらいましょうか、さっき言ってたやつ」

 丁度よい。この無礼な振る舞いを延長コードの貢物でチャラにしてもらおうと私は考えたのである。魔王はその提案に頷きひとつで応じた。そしてその重低音でもって、礼を逸した来客に告げた。

「よくその不出来な耳を傾けて聞くがいい。延命の細引きを余に差し出せ。さすれば生きた娘に会わせてやろうぞ」

 ただの脅しだった。しまったこれではまるで誘拐犯の身代金要求。
 訂正を入れる間もなく、扉の向こうで想像通りの声がした。

「こ、この悪党……延命の細引きとはなんだ! 聞いたことがないぞ! さては無理難題をふっかけて私達親子の命を弄ぼうという腹だな!」
「延長コード、お父さん延長コードだから」
「え、延長コード!?」
「テレビ台のところの引き出しに入ってるからそれ一束持ってきて。あとピンポンやめて」

 父はなんで延長コード、首でも絞めるのか、とどこまでも悪い想像を膨らまてブツブツと言っていたようだが、娘の命には代えられないとばかりに走り去っていった。私の命と延長コードがイコールの価値であると考えると、少しばかり心に秋風がふく。
 魔王は相変わらず何の感慨もなさそうな瞳で私を見下ろし、二度目の台詞を吐いた。

「そなたの父はまこと騒がしい」
「魔王さんにも責任ありますからね今のは」

 父はものの数十秒で戻って来た。覗き穴から見ると、肩で息をしている。一束でいいと言ったのに手には三つくらい持っていた。選んでいる暇もないほど急いでくれたのだろうが、うちから延長コードがなくなる。

「よかろう、卑しい足を踏み入れることを許す」

 魔王が施錠をといた途端、隙間から父がなだれ込んできた。閉じられないよう真っ先に足で扉をガードしながら中に入るという、百戦錬磨の悪質な訪問販売みたいなやり口だったのが静かな衝撃だった。やるときはやる男、瀬野春彦。私の父です。
 
「無事だったか夏織、何もされてないか」

 青ざめた顔の父は私の姿を見るなり肩にしがみついた。

「大丈夫だよ、何もされて……」

 言いかけた途中、マッサージのハードコースによる洗礼が頭をよぎる。何もされてないということはなかった。そこそこ酷い目に逢っていた。しかし話がこじれるのは間違いないので黙っておくほうが賢明。
 そういう結論に落ち着いたのだが、一瞬の迷いのせいで、返事の語尾が不穏な形で姿を消してしまっていた。おかげで父の血圧がまたも上がってしまったようだった。家の中に呼び鈴がなくてよかった。

 魔王はというと、私と引き換えに得た延長コードを手にしてさっさとリビングに引き上げていた。人の親のテンションをこんな風に狂わせておいてクールにもほどがある。 私は適当になだめてから、渋る父を引っ張って魔王の後を追った。
 魔王は予想通り、移動の自由がきくようになったマッサージチェアを動かしていた。あれほど重量感ある椅子を軽々と運んでみせるのだから、やはり只者ではない。人の子とは根本的につくりが違うのであろう。
 私の隣でその様子を観察していた父が、短い声を上げた。
 魔王の魔王たる力を目の当たりにして畏怖を深めたのだと私はそう思った。しかしそうではなかった。

「マッサージチェア……!」

 父の目線は釘づけだ。来た時の私と同じように、いやそれ以上の関心の強さで設置され直したマッサージチェア見ている。

「お父さん」
「夏織、あれはな今年の夏に発表されたばかりのモデルで、より人の手に近い揉みほぐしを追求した」

 それから父はどこのメーカーでどの部位が洗練されていて、などとおおよそ私には理解できそうもないことを一方的にとくとくと語ってくれた。ちなみに父の仕事はマッサージ器とはなんの関係もない。つまりこれは個人的な趣味による知識である。
 さっきとは打って変わって、きらきらと輝きだした眼鏡と瞳にやや及び腰になったものの、蟷螂の斧を振りかざす悲壮感よりはずっといい。私は横目で父を見た。
 
「乗せてもらえば」
「なに?」

 多分頼めば貸してくれるよ、と更に囁く。父は明らかに動揺を示し、葛藤で眼鏡を曇らせた。
 ここは憎き魔王の城であり、マッサージチェアはほかならぬ怨敵の所有物。そんなものにむざむざ身を預けられようか、という意地と、まじで乗れんのかよラッキー、という素直な欲とが父の中で激しい衝突を繰り広げているのは明白だった。
 
「魔王さん、父がそれ乗ってみたいらしいんですけど」
「おい、」

 父の代わりにそう声をかけると、延長コードを無事コンセントにつなげた魔王がゆっくりと振り返った。傍らにいる父の身に緊張感が走ったのがわかった。

「構わぬ。ひょうろく玉、ここへ」

 傍らにいる父の血圧が更に上昇したのがわかった。確かに父と呼ぶなと突っぱねたのは父自身であるが。もはやただの悪口である。ミヤマメ以下の。
 しかしそれでもマッサージチェアは強い。絶対に「この野郎」と思っているはずなのに、父の足は魔王に呼ばれるがまま近付いて行った。
 とはいえやはり抵抗はぬぐえないと見える。乗る寸前になって、立ち尽くしては後ずさるなど後ろ姿が躊躇っていた。が、人は誘惑には弱いもので、結局最後には体を横たえた。
 私で威力を試したことで気が済んだのか、魔王がリモコンを取り上げることはなかった。説明書とリモコンを与えられた父は、魔王の手前、厳しい顔をつくってはいたものの、レンズの奥の瞳の輝きは隠せない。
 散々迷った末、父が選んだコースはリラクゼーション。解説によると、耳元から癒しの音楽が流れ、森林浴でもしているような心地よさに魅了される、らしい。私もできれば恩恵に預かりたかった。
 その効果のほどは確かなようで、マッサージが始まるやいなや、父の顔面から険しさが失われた。ぼろぼろと垢すりのように剥がれ落ち、代わりに悟りを開くにも似た穏やかさが全身を包んでゆく。インドの工場長がこんな顔だった気がする。
 やがて瞼は静かに閉じ、開始五分で父は眠った。
 仕事に追われ、里帰りでも精神をすり減らし、さぞやお疲れだったのだろう。前門の工場長、後門の魔王、生身で戦うにはあまりに過酷。家族はあの通り、味方のようであてにならないし。
 せめて今だけでも、父にやすらぎのひと時を。
 私は手から落ちそうになっているリモコンをそっと取り上げて、父が立てる寝息から離れた。

 と、その先には色紙を持って待ち構える魔王がいた。 
 まだ何も終わっていなかったことを私は思い出した。むしろスタートを切ったばかりだったことも。

「カオリ」
「そ、そうでしたね」

 言葉少なに促され、私は再び鶴と向き合うことになった。どうせ寝入った父を置いて帰ることはできないのだから、同じと言えば同じだ。
 ただ、完成させる前に私の精神が持つかどうか。先の長い登山を始めるような気合と心構えで息を吐き、私は色紙を手に取った。
 
 私は一折一折、根気よく教えた。
 魔王は一折一折、例外なく躓いてくれた。
 一つとしてスムーズに進んだ工程はなかった。失敗の度に捨てていては勿体ないと、一枚の色紙をいじましく使い倒していたせいで、終盤に差し掛かる頃には縮緬のような手触りになっていた。なかなかおしゃれ。折り紙には全く向いていないが。
 それでも腐らず諦めず続けてみるものだ。長い時間をかけて、ようやく折鶴は完成した。
 お世辞にも美しいとはいえない仕上がりであるものの、鶴かどうか判定できない代物ではない。少なくとも死んでいない。全体的によれよれで、元気でもなさそうだが生きてはいる。
 魔王も達成感を覚えているのか、自ら作った鶴を感慨深げに眺めている。
 
「できましたね……」
「うむ……」

 心情としては、この満ち足りた気持ちのままパーッと打ち上げにでも行きたい。そして解散したい。
 けれども忘れるべからず、これはまだ一羽目。
 あと99羽か……と現実を考えると、見えていたはずの頂上が、雲に隠れる思いである。
 ふ、と静かに理解が舞い降りる。
 無理だよ。絶対無理だよ。入院とか関係なく、寿命が山形さんを迎えに来るよ。
 そんな思いに駆られて、私は次の色紙に手を伸ばした。そもそもが方向性のよくわからない好意の産物である。全部とはいかないが、少しくらい助勢しても構わないだろう。
 私が猛然と折り始めたのを見て、魔王もつられるように作業にとりかかった。横目で見ていると、一度完成させている分だけ先ほどよりましになっているが、ちょいちょい危なっかしい。
 魔王も別にふざけているわけではなく、顔つきが邪悪に歪んでしまうほどに真剣に取り組んではいるのである。その気合が、結果になかなか結び付かないだけで。
 私は魔王の鈍い手の動きに目をやった。器用不器用は生まれついてのものだとしても、彼には決定的な欠点がひとつある。しかしそれについて言及していいものかどうか。
 その時、魔王の手が突然止まった。追って、閃きを含んだ呟きがもれた。

「爪か」
「えっ」

 思考を読まれたかと思わず頭を押さえてしまった。
 そう、指先を飾る長い爪はいかにも魔王らしくあるが、細かな作業に向くとは思えない。これで米をといだり野菜の皮を剥いたりよくできるものだと日頃から感じていた。

「余の爪が、この呪術を阻んでいるのか」
「まあ、うん、全部の原因ではないですけど、そうですね」
「ならば削り落とすのみ」
「決断早っ」

 言うが早いか、魔王はどこからか出してきた爪切りでパチパチと切り始めてしまった。そんな簡単に切っていいものなのか。しきたりとか魔力とか威厳とか、よくわからないがしがらみがあるのではないか。
 私がおずおずと問えば、魔王は涼しい顔で、明日には伸びると答えたのであった。さすが魔王は爪まで生命力が強い。

 爪を切った新生魔王の効率は、ほんの少しましになった。不器用には違いなかったが、爪が邪魔にならないだけスピードが上がった。
 私が十羽折る頃、魔王がやっと一羽くらいのペースだったのが、二羽折れるか折れないかほどになったのである。二倍の速度と思えば目覚ましい成長といえよう。
 ただし肩に入った力は抜けないらしく、顔は恐ろしいまままだ。一折一折の気合が尋常ではない。本当に、呪に近い念を込めて折っているのではあるまいな。

「ちょっと休憩しましょう!」

 おそらく目標数の半数に達したであろう折鶴が、目の前に積み重なっている。長いこと座っていたせいか、私は足のしびれや疲労に襲われ、限界を迎えていた。
 折鶴を数える気にもならずそのまま後ろにひっくり返る。よそのお宅でみっともないとは思うが、疲れには勝てない。魔王は私を目線で刺した。

「この程度で音を上げるとはだらしのない奴」
「この程度もなにも魔王さんの十倍は折ってますよ……」

 発声は弱々しくなったが、その言葉は魔王の胸にしっかりと届いたようだ。魔王はすっと立ち上がり、水分をくれてやろう、ありがたく思え、と吐き捨てて台所に向かった。
 言われてみれば家に上がってから、茶の一杯ももらっていないことに気づいた。そりゃあ喉も乾くし疲れもするだろう。今日の魔王はいつにも増して人使いが荒い。
 仰向けの視界には天井が見える。白い広がりをぼんやりと見上げていると、チラチラと何か色が動いているのが目に入った。疲れ目だろうかと両手で目をこする。が、消えることなく色は、ひとつ、ふたつ、みっつ、と数を増しながら羽ばたいている。小さな羽を動かして。
 私は飛び跳ねるように身を起こした。

「飛んでる!」
 
 先ほど折った鶴の群れが、リビングをひらひらと舞っていた。それも少し不格好で、嘴のよれた鶴ばかり。
 明らかに魔王の折った鶴だけが、翼を得て本物の鳥のごとく自由に飛んでいる。
 慌てて捕まえようとしても、不細工な鶴の癖に俊敏で、触れることすらできない。
 私の声を聞きつけて、匙を片手に駆け付けた魔王もまた同様であった。ちっとも捕まえられない。初めて虫捕りに来た都会っ子のようにかすりもしない。

「ちょ、これなんなんですか!」
「知らぬ。身に覚えがない」
「いや魔王さん念こめすぎたんでしょ! あ、そっちいった!」
 
 どの鶴もすいすいと手を避けて、リビングを華麗に飛び回った。軽やかに舞いながらも、人を挑発するように目の前を通過する様は、夏場の蠅のように鬱陶しい。
 我々が鈍いという以前に、鶴があまりにも早すぎる。捕まえたと思いきや、それは残像。実際は一メートルも先にいたりする。だんだんと腹が立ってきた。
 頭に血が上ったまま必死に追いかけ、手を伸ばし、飛び上がっている内に、足元に注意を払うという意識が私の頭からするりと抜けた。
 だから、思い切り踏んでしまったのだ。
 リモコンを。
 かかとが踏みしめたと思しき箇所は奇しくも覚えのある。

 ハードコース開始ボタン。

 あ、と思う間もなく、寝込みを襲われた父の悲鳴がリビングにこだました。

 
 折鶴の一行はどさくさに紛れて魔王宅から脱出し、空へと消えていった。行方が案じられたが、山形さんの病室に自力でたどり着いたそうである。飛び去った分は千羽の内にカウントされないという三枝さんルールが発動してしまったので、結局魔王と二人でまた折った。
 そして未だ山形さんが誰か、わからないままなのであった。


    
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