10話目 / 勇者と魔王の巻
 


 風と羽音をまといし魔王は普段通りに自宅前へ降り立った。
 見た目とは裏腹にその所作は大人しく、小石を放るより軽やかにその身を大地に下ろす。足音もない。左右に伸びた禍々しい翼が扇を閉じるにも似た優雅さで、主の背に隠れていく。
 勇者は呼吸を忘れたように魔王の一挙手一投足を見つめていた。彼が一体誰を追っていたのか、聞かずともその険しい表情が物語っていた。

 上空から私たちの姿が見えていたのか、それとも目に入ってはいなかったのか。
 物言わぬ魔王の視線がようやく持ち上がり、こちらを向く。最初その静かな視線は私をとらえ、次にもう一人へとスライドするように滑っていった。
 途端、空気が変わったのを感じた。
 魔王の銀の目が急速に凍てついていく。もとより冷えた色ではあったが、それがいかに手ぬるいものだったかわかる。粉雪と氷河だ。まるで比べ物にならない。今や両の眼は、胃がすくむような、震えが来るほどの冷気と鋭さを帯びていた。
 べたりと肌にはりついていた暑さは一瞬にして霧散し、緊迫感が輪郭を撫でる。
 闇色のローブを揺らし、魔王は一歩近づいた。
「――貴様、勇者か」
 地獄の底を思わせる低音は聴く者すべての五感を揺らす。気圧され、つい後ずさりそうになる足に力をこめた。
 選ばれし者としての矜持か胆力か、勇者にひるんだ様子はない。ひととき飲まれたことを恥じるように、背筋を伸ばして吠えかかった。
「やはり近くに居を構えていたか……悪の化身、魔王め! ようやく我が前に姿を見せたか!」
 騒がしいばかりに思えた大声もこの状況においては勇者としての役者を際立たせるにふさわしく、切り裂くようによく通った。
 魔王は冷気を湛えたまま、うるさそうにそれを払う。
「痴れ者が。勇者風情が足を踏み入れて良い地ではない。早急に立ち去れ」
「血眼で探した仇を目の前にして誰が引き下がるか! まさか城を離れ、こんな場所に逃げ隠れているとはな!」
 勇者に向けられていた銀色の目が、すう、と細くなった。
「……城に押し入った挙句この狼藉か、度し難い。去ね。言葉だけの警告では済まぬぞ」
「望むところだ! その呪わしい体に流れる魔族の血ごと絶やしてくれる!」
 熱を生む勇者と冷気を孕む魔王が真っ向から睨み合う。視線の上で炎と氷が衝突した。
「消し炭にされたいか」
 魔王の口が聞き取れない言語を囁き出すと、呼応するように空間がゆがみ出した。どす黒い霧のような粒にあっという間に染め上げられていく。勇者も何事か謎の祈りの言葉を唱えては、魔法陣らしきものを宙に描いた。空がうねり、雲が波打つ。殺気を煽るかのように風が下から吹き付けてきた。熱いのか冷たいのか、どちらともつかない感覚に皮膚がひりつく。
 私は風で転がってきたホウキを拾い、その柄で両者の脇腹を猛然と突いた。 

「人んちの庭先でやめろ!!」



 当然手加減するつもりだったし、本気でやるわけないし、まあちょっと大げさな術だったのは悪かったと思ってる。
 というようなことを魔王は脇腹をおさえながら淡々と述べた。
 カッとなってやった、全力でやるつもりだった、反省はしていない、なんで邪魔した。
 というようなことを勇者も脇腹をおさえながらキレ気味に語った。
 私はもう一度勇者をホウキで突いた。
「うぐっ」
 さっきまで世紀末のように不穏だった町の空は穏やかさを取り戻し、夏らしい日差しがじりじりと私たちを炙っている。守った。私が守ったのであるこの町の平和を。魔王と勇者のドンパチから。
「そういう物騒なことは地元でやってください。いやもうマジで。開戦なんて人の町内でやることじゃない」
 剣と魔法の世界のいざこざはそちらで片をつけてもらいたい。よその家の上空で気軽に召喚獣を呼び出すなどもっての外だ。
「魔王を滅する千載一遇の機会を見逃せというのか!?」
 脇腹から手を離し、勇者は甲冑をきしませながら立ち上がった。先ほどより幾分か気勢が削がれているものの、依然として目の色は煌々と正義に燃えている。
「三日と半日かけて探した仇だぞ!?」
「割と簡単に見つかったもんですね」
 期間としてはちょっとした小旅行といえよう。苦労として第三者に訴えるには少しばかり浅すぎる。
 頭上から影が落ち、視界が陰った。太陽を背負う位置へ魔王が回り込んだのだと気づく。
「ここは魔王の保養地。本来勇者などが侵せる領域ではない」
 保養地だったのか。初耳だ。宅配ピザ屋すらない寂れた場所が、ディープな界隈で重宝されているとは世の中わからないものである。これまでずっとなんの変哲も特色もない町だと信じていた私の16年とはなんだったのか。
 向き合っていた勇者と私の横に魔王が陣取り、三角の形を成した私たちは主婦の立ち話のような位置関係になっている。そのすぐ脇を軽トラがエンジン音を奏でながら通り過ぎていった。
「保養地だろうが知ったことではない! 死に場所が選べる立場だと思うな!」
 声でかい。
「もうちょっと大人しく喋ってください近所迷惑です」
 ある程度住宅が離れているので普段なら少々の騒音など問題にならないが、このボリューム感、さすがに気になってくる。
「そう! 魔王を滅ぼすことこそがこの身に課せられた使命!」
 声量は控えめになるどころか増した。相手の話なんか聞く気ゼロだよこの人は。
 ここまでひどくはないものの、時折魔王も私の話をナチュラルに聞き流したり都合のいいように解釈したりと、そういう面では共通点が見られる。あちらの人たちの耳には蓋でもついているのだろうか。
「虐げられていたこの村の民も、悪が倒されたと聞けば諸手をあげて喜びにわくだろう!?」
「いやどうかな……虐げられた覚えもないし」
「哀れな! 村娘その一! そのように魔王の顔色を伺う必要などない!」
 間近に迫られ、耳がキーンとした。 
 滑らかそうな枯葉色の髪を振り乱し、若い剣士は更に吠えている。これは休日早朝の選挙カーよりやかましい。やむを得ず、ホウキの柄で勇者の脇腹を抉る。頑強な甲冑も魔王のローブ同様、地味な打撃には耐性が弱いようでなによりだ。
「声を落としてください。難聴になります」
 できるだけ低い声でそう告げると、脇腹を抑えて身をかがめていた勇者は目尻を跳ね上げた。
「村娘その一!」
「その呼び方やめてもらえませんか……」
「さっきからお前は勇者である俺に対してあまりに敬いに欠けている! 歓迎どころか疎ましさすら感じさせる態度ではないか! よもや魔王の肩を持つわけではあるまいな!?」
 あるまいな!? と詰め寄られても。
 私は首をひねりながら、魔王と勇者を見比べた。
 これまでの魔王の行いを思い返してみれば、引越しの挨拶に始まり、プリンおすそわけ、早退の迎え、町内会の夜回りなど、良き隣人として感謝することはあれども恨む要素は浮かばない。それに対して勇者はというと、無賃乗車、野菜泥棒とすでにこの短時間で少なくとも二件の犯行が判明している。しかも初対面の女子を顎で使おうとするなど、印象としては良くない。というか最悪の部類だ。殴りたいとまで私を駆り立てた相手である。
「どっちの肩持つかって言われればそりゃあこっちですよね」
 迷いなく魔王の方を指差すと、勇者は大げさに目を剥いてのけぞった。
「その一!」
 ついに省略された。面倒になったのかも知れないが、なら呼ぶなと言いたい。
「正気か!? 俺は光に導かれし勇者で、あれは悪逆非道の頂点に君臨する魔王だぞ」
「いやなんていうか人間肩書きじゃないかなって……」
 勇者と魔王という文字だけが並んでいれば、恐らく勇者を選んだだろうが、人品を知ってしまった以上、勇者の支持するは難しい。こんなに人の精神を削ってくるバイタリティの持ち主もなかなかいない。  
「惑わされている! 奴の卑劣な手に操られているのだお前は! 目を覚ませその一!」   
 大きく上下に視界が揺れる。地震ではない。勇者が私の肩をつかんで力まかせに揺さぶっているのだ。勇者このやろう。こんなことならもっと強くホウキでついておくべきだった。
「貴様の無作法は目に余る。配下を解き放て」
 耳の奥に響いた重低音とともに、私の視界は安定を取り戻した。危なかった。プラモのパーツの要領でぷつんと首から取れるところだった。首の後ろを両手で抑えながら勇者から距離を取る。引き剥がされた手をだらりと下げ、勇者は呆然とこちらを見ていた。
「配下……? どういうことだ」
「参謀の地位を授けた」
 私の代わりに、魔王がこともなげに答えた。
「あがこうとも無駄。この娘は貴様にはつかぬ」
 ローブをはためかせながら仁王立ちで宣告する様は、クライマックスで主役を陥れる悪役といった風情で、こう言ってはなんだがよく似合っていた。買い物袋さえ持っていなければ完璧だった。 
 勇者の顔面が驚愕の色に染まる。左右に大きく振った頭に手を添え、絞り出すような声で私を詰った。
「く……お前は魔王側だったのか……! この女狐め! よくも裏切ってくれたな!」
「裏切った覚えは特にないんですけど」
 信頼関係を築く段階にも至らなかったと思う。知り合いっす、と前もって言わなかった私も悪いとはいえ、彼の感情が全方向に振り切れすぎてて追いかけきれない。
 私の声などとうに届かないようで、勇者は「くそ、くそ……!」と呻き、頭を抱えながら膝をついた。そのまま固めた拳で地を殴りつける。舗装されたアスファルトがえぐれるのを見て、人間離れした破壊力に肝が冷えた。道理でつかまれた時、肩が恐ろしく痛かったはずだ。
「魔王、一体どれだけ俺から奪えば気が済む……父も母も……マリアンヌだって、お前の手にかからなければ今頃……!」
 勇者は嘆きにも似た激情を吐露し、尚も拳を打ち付ける。その憂いを背負った姿はとても庭のトマトを盗み食いしていた輩には見えず、哀れを誘った。
 魔王といえば絶大なる魔力やその邪悪性で人々を脅かす存在である。
 私が知っているのは割と平和に暮らしている隣人の姿だが、元の世界でまっとうに魔王として君臨していたのであれば、心温まるビジネスに従事していたとはとても考えにくい。魔の玉座に恥じない、それなりの行為に手を染めていたことだろう。もしそれなりの行為の中に、人類との血なまぐさい諍いが含まれていれば、魔王討伐を掲げる勇者とは様々な因縁があったとしても無理からぬ話である。普段は語られぬ、凄惨な逸話が二人のあいだには横たわっているのかも知れない。
 視線の置き場に迷い、窺うように私は魔王を見上げた。自分でも無意識に、何らかのフォローを魔王に対して求めたのである。が、その顔色に目立った反応はなかった。
 ばつが悪そうな様子もなく、蔑んだ笑いを見せるわけでもなく、苦々しく唇を噛むでもなく、ただ冷ややかな気配が漂うのみで、しいて言うなら、わずか寄せられた眉に鬱陶しそうな色がうっすら見える程度。それでも表情としては薄く、温度としては限りなく低い。
 流しそうめん器を見つめていた時の方がよほど生き物として血が通っていた。
 今は木枯らしもかくやである。熱の塊のような勇者との温度差に、結露が生まれそうだ。 
 手応えのなさに業を煮やしてか、地に伏していた勇者が噛み付くように魔王を睨み上げる。
「なんだその取り澄ました顔は! 何かいうことはないのか!」
「ない」
 即答。
 一刀両断に、勇者はおろか私までたじろいだ。
 勇者の言い分からすると、魔王が何らかの形で彼の家族やマリアンヌという女性を奪ったということになっているのだが、それについて魔王は一切触れようとしない。興味も関心も示さず、ましてや心当たりがある素振りも見せない。一貫して他人事のような態度を取り続けている。クールな態度だとは思っていたが、ここまで来ると凍えるほどにコールド。南極の地において生きのびるダニでさえも恐らく凍てついて死ぬ。
「いかに無様に叫ぼうとも喚こうとも余には届かぬ。矢なき弓を射るな」
「身に覚えがないとでもいう気か!」
「そう言っている」
 若さを宿す青い目が憤怒に燃え盛った。ゆっくりと立ち上がる甲冑の肩がわなわなと震えている。唇の不自然に端が持ち上がって笑みの形を作っているのは、感情が振り切れたせいだろうか。
「なるほどな……人間などお前にとっては記憶にも残らない、ものの数にも入らない、虫けら以下に過ぎないということか」
 ほんの小さく独り言のように呟いた勇者はその拳を強く握った。
「やはり生かしておくべきではない! 今ここでこの外道に天誅を下す!」
 止める間もなく勇者は踊りかかった。仇敵を害するべく放たれた拳は届くことはなく、あっさりと魔の手にとらえられる。敵意に歪む若い面立ちを魔王は笑みもせず睥睨した。
「威勢の良さは認めるが、それのみで魔の頂きたる者を屠れるなど思い上がるな小僧。身の程を知るがいい」
「ほざけ! お前だけはこの身と引き替えにしても殺す!」
「無益なことよ。いかにしても余を倒すことはできぬ」
 勇者の発した声はもはや言葉として成していなかった。
 獰猛にその胸ぐらをつかみあげられても、魔王の冷然とした佇まいは崩れない。美しく整った魔性の形が、ぞっとするほど静かに、荒々しさの欠片もなく、薄い唇を開いて牙を見せた。
「哀れで愚かな勇者よ、よく聞くがいい」 


 貴様は、


「余の管轄ではない」

「えっ」
「えっ」

 一つ目の「えっ」は勇者、二つ目の「えっ」は私。ほぼ同時に発した。
 えっ。
 管轄?

「いまなんて」
「余の管轄ではない」
 問い返すと、生真面目にも同じ台詞を魔王は繰り返した。繰り返されても理解には程遠い。
 突然放たれた事務的なワードに戸惑いを隠せないのは勇者も同じらしく、胸ぐらをつかんだまま、睫毛が飛び立つのではないかというくらい瞬きを繰り返している。
「いやあの、管轄ってどういう……」
「余が司る区画の勇者ではないと申しておるのだ」
 さも当然といった顔つきで語られても話が通じているのは本人のみで、私と勇者は完全に置いてけぼりだ。ニ、三巻飛ばして読んだ漫画の展開くらい、ついていくのが難しい。私は乱雑に散らかされた頭の中を必死で片付けて回った。
 管轄外の勇者。
 区画の異なる魔王。 
「……担当が違うってことですか?」
 魔王は頷いた。
「勇者が探してるのは別の魔王?」
 魔王はこれも頷いた。
 沈黙がおのおのの肩にふりかかる。
 ローブの表面に皺の波を作っていた勇者の拳からは徐々に力が抜けていき、ついには魔王を手離した。
 真上に位置した太陽が下界の茶番を見下ろしている。引導を渡すかのように正午を知らせるサイレンが唸りを上げた。
「魔王違い……」
 私が呆然と呟いたのを合図に、勇者は膝から崩れ落ちた。 

「夏織ちゃーん?」
 背後から場違いにのんきな声がして、はっと振り返るとお隣の鈴木さんが遠巻きにこちらを伺っていた。手にしたダイレクトメールのようなものをひらひらと振っているのが見える。慌てて駆け寄った。
「これうちの郵便物に混じってたみたい」
「すいません、ありがとうございます」
「あの、それとね……」
 郵便物を渡したあとも鈴木さんは立ち去らず、何か言いたげな表情を見せた。
 鈴木さんはおっとりとした人で、普段から微笑んでいるような印象がある。しかし今日は珍しくどこか不安そうに顔を曇らせていた。鈴木さんは人目をはばかるようにその声を潜めて。
「余計なお世話かもしれないんだけど……大丈夫?」
「はい?」
「魔王さんと夏織ちゃん、おかしな人に絡まれたりしてない? おばさん警察に連絡しようか?」
 そっと鈴木さんが目配せをした先にはうずくまった勇者の姿が。
「なあにあれ、鎧みたいなの着て……チンドン屋でもあるまいし……」
 魔王が町内会に加わった時、私の家族同様、鈴木さんはすんなりと受け入れていた。まあお一人でこちらに、ご近所のよしみで頼ってくださいね、などと朗らかに。今の鈴木さんの警戒心もあらわな視線はそれとかけ離れている。親しみの欠片もない。ちょっと怖い。
 真相を告げていいものかどうか迷い、私はもごもごと言い添えた。
「あーえーと……魔王さんの知り合い、みたいで……」
「あらそうなの、夏場は妙な人が出て来るっていうからてっきり。気をつけてね」
 鈴木さんはいくらか安心したように、それでも少し気がかりな様子で、自宅へと戻っていった。その後ろ姿と入れ替わって、自転車に乗った中学生が向こうから走ってくる。勇者当人は気づいていないが、通り過ぎる際、不躾なくらいじろじろと物珍しそうな視線を甲冑に這わせていった。そういえば、さっき通った軽トラの運転手もおかしな顔で勇者を見ていなかったか。
 浮いている。勇者は町の風景に溶け込んでいない。
 これまで誰ひとりとして魔王を奇異な目で見るものがいなかった。おおらかな土地なのだと、そう解釈していたけれど。
――魔王の保養地
 おおらかなのは対魔王限定だ。分け隔てなく受け入れるわけではないのだ。
 残念だが勇者よ。
 地元では選ばれし者であろうとも、この地では招かれざる客だ。


    
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