9話目 / 来ちゃったの巻 |
最初、巨大なアルミホイルの塊だと思った。 よくよく見てみれば、人の形をしていたのだった。 そろそろ野菜が熟れた頃だろうから収穫しておこうとカゴを手にして踏み入れた庭に、それはいた。 夏の攻撃的な日差しを受けて、銀色に輝く大きな何かがうずくまっている。茶と緑で構成される自然な色合いの中で、見逃せという方が無理なくらいの威力で目立っていた。 訝しく思いながら近づいていくと、どうも眩しい銀色の正体は甲冑のようなものらしい。それが知れた時点で、私は足を止めた。 上下ジャージは定番だが、上下甲冑のファッションを着こなしている人はあまり見かけない。 いやボトムのみデニムなどの着崩しコーディネートテクニックを披露されてもそれはそれで感想に困るのだが、頭部からつま先まで全身甲冑の近寄りがたさ、圧倒的である。 もちろん、何を着るかは本人の自由であるし、警察のお世話になるほど大胆でなければいくら個性を主張しても問題はなかろう。が、我が家の庭先に現れたとなれば、これはいささか構えてしまう。なんか知らんが斬新なやつが来たぞ! と警鐘も鳴るというものだ。 後ろ姿しか見えないものの、知り合いである可能性は極めて低い。 誰なんだ。そして何をしているんだ。 謎の甲冑が座り込んでいる位置にはトマトの苗が植えられている。警戒心と好奇心の両方を携えて様子を伺っていると、気取られたのか銀の背中が突然翻った。 兜の目隠しは完全に上げられており、振り返った顔がよく見える。まだ若そうな男だ。色素の薄い髪と生命力みなぎる空色の目がこの土地の者ではないことを物語っている。 男は、両手でトマトを貪り食っていた。 ぎょっとする暇もなく、そのぎらぎらとした青い色と目があった。 何を思うより先に、私はかごを放り出して一目散に逃げ出した。 甲冑! 青い眼! 野菜泥棒! 目が青いのは別として、その場から離れる理由としては十分だろう。鎧兜で身を固めて、見ず知らずの他人の菜園の野菜をもりもりと食っているのである。しかも夜の闇に紛れるでもなく、あんな目立つ格好で昼間っから堂々と。 私は走った。とりあえず誰かに知らせる為に走った。 が、走ったのは私だけではなく甲冑も同じだったようで、ものの数秒で追いつかれた。ガッチャガッチャと重量感あふれる物音がすぐ背後に迫っている。 「待て!」 「うわー! 誰か! おまわりさん!」 「待てというのに!」 後ろからがっしりと腕をつかまれて、もう逃れようがない。重苦しい見てくれのくせに、飛脚もかくやという瞬足だなんてそんな馬鹿な。鎧武者の動作と虫歯の進行はもっとゆっくりであるべきだ。 「何を勘違いしてるか知らないが、それは誤解だ!」 焦りを含んだ男の声が背中に響いた。 「だいたい俺が怪しい奴に見えるか?」 拘束された右手に引っ張られるようにして恐る恐る振り返る。男の口元は先程まで食べていたトマトの果肉がべったり張り付いてやたらと赤かった。自信満々のところ申し訳ないが、怪しい奴以外の何者でもない。 「すいません怪しいです」 「なに!?」 青い眼を見開き、男は驚愕の表情をつくった。 間近で見ると、思った以上に若い。上背もあり、ごつい甲冑に見劣りしない美丈夫なのは間違いないのだが、大人と呼ぶにはいささか未熟そうな雰囲気がある。 「一体なにが怪しいというんだ! 俺は何もやましいことなどしていないぞ!!」 肺活量を試すような大声が私の鼓膜を揺さぶった。片手がとらわれているので、耳を塞ぐこともままならない。 「何もって、勝手に野菜食べてましたよね」 「食べてない」 「えっ、口にこれでもかとトマトが」 「ああ、腹が減っていたところにちょうど熟していたのが目に入ったので頂いた」 「なんで一回嘘ついたの!?」 「嘘ではないぞ! 無断で食べてなどいない! 自然になっている実をごちそうになったまでだ!」 「あれうちの畑なんですけど!」 「そうかうまかった! 礼を言おう!」 男は親指を立てて、白い(今はトマトで赤い)歯を見せた。そこに邪気は感じられなかったものの、反省も限りなくゼロだった。 なんなんだこの人は。なんでこんなに生き生きと横暴なんだ。異国の人はみんな自己主張と自己肯定が強いのか。 幸いにも男が話す日本語は流暢で、言葉に関しては不自由なさそうだが、意思の疎通は期待しない方が良さそうである。あまり人の話を聞くタイプには思えない。 納車したての新車のように、その身にまとう鎧はぴかぴかと輝いている。私は甲冑なんてろくに眺めたこともない素人以下も以下なので、それがどの程度優れたものなのかはわからないにしても、コスプレや仮装で身につけるような薄っぺらい偽物には到底見えなかった。本物の騎士が身につけていてもおかしくない重厚な質感に目を奪われる。 体が気温を思い出したように額の際に汗がじわりと滲んだ。 暑い。何月だと思ってんだ、という思いがこみ上げてくる。 八月である。夏も盛りの八月である。どんな事情か知らないが、何も炎天下で着用しなくたっていいじゃないか。すでにこの時間、30度はゆうに超えている。更に甲冑による照り返しが加わり、体感温度はますます高くなる。 「ところで」 逃げる意思がないのを悟ってか、甲冑はようやく私の腕に自由を与えた。そのままぐるりとあたりを見回し、力強く告げた。 「ここはどこだ」 迷子だった。 こんなに窮している様子のない迷子も珍しいのではないか。むしろ私の方が困惑している。 「き、記憶喪失とかですか」 「馬鹿なことを! 生まれた時から今現在に至るまでしっかりと記憶に刻まれている!」 「あのもうちょっと静かに」 男は私の話など耳を貸さず、ここはどこだと連発している。 とりあえずこの町の名前を出してみたが、ピンと来た様子はなく「わからん!」と堂々と胸を張られてしまった。どこから来たのかと尋ねても、聞いたこともない、舌を噛みそうな地名が返ってくるばかりで全く参考にならない。 「さすがに日本なのはわかりますよね?」 「ニホン? さあ知らん」 「そこから!?」 これはちょっと私の手に負えるようなレベルではないのではないか。 日本にありながら日本を知らないのである。字面だけ見ると深い。己でありながら己を知らぬ、さて己とは何か? と問いかける出口の見えない禅問答のようだ。 彼は果たして何者なのだろう。 このあたりには特に観光地もなく、異国の人がツアーからはぐれてさまよっているとも考えにくいし、服装も奇抜すぎるし、無意味に声は大きいし、素直に駐在所に連れて行ったほうが早いかも知れない。私の不審感たっぷりの眼差しを受けてか、男は腹から声を出した。 「なんだその顔は。俺は怪しい者ではないと言っているだろう! むしろ逆だ!」 「逆?」 そうだ、と男は誇らしげに甲冑の胸をどんと叩いて見せた。この無尽蔵の自信と、見知らぬ土地にて心細さ皆無のメンタルの強靭さ、確かに只者ではない。 「どちら様なんですか?」 途端、私を見下ろしていた青い目が輝きを帯びた。自信に満ちていた顔はますます気力に溢れ、男は大仰に胸を反らす。 「よくぞ聞いてくれた。俺は世界を光に導く選ばれし勇者である!」 「ゆ?」 「勇者である!」 「ゆうしゃ?」 「勇者である!」 甲冑の表面が光を跳ね返し、その眩しさで私の目を刺した。 少し前であれば、ここでさっと無駄のない動きで携帯を取り出し1と1と0を押していたかも知れない。場合によっては1と1と9だったかも知れない。いずれにしても赤いサイレンに助けを求めていたのは間違いないだろう。しかし今の私は、瞬き三つほどで甲冑男の発言を咀嚼して飲み込んだ。 魔王が存在するのだから、勇者くらい居ても不思議ではない。むしろ納得である。この現実感のない格好、温度の高い発言、朗らかなゴリ押しなど、勇者という立場を思えば合点がいく。 「とある仇を探していてな。そいつを追っている内に、いつの間にかここにたどり着いたというわけだ」 勇者(自称)は腕を組み、難しそうに眉間に皺を寄せた。 どこから来たにしても行くにしても、最低山はひとつ超えなければならない。屈強な勇者といえど楽な行程ではなかったのではないか。 「ここまでは徒歩で?」 「いや電車で」 最短ルートで来てた。 勇者をのせた乗客もまばらな鈍行列車がガタンゴトンと走る牧歌的風景が瞼の裏に浮かぶ。 「電車賃とか、大丈夫だったんですか」 「あいにく貨幣を持ってなくてな。まあしかし、そこは勇者ならではの、」 「ならではの?」 「身のこなしで突破した」 人はそれを、無賃乗車と呼ぶ。 やはりと言おうかなんと言おうか勇者には全く悪びれた様子がなかった。ダンジョンの仕掛けのひとつくらいにしか思ってないのかも知れない。廃線も危ぶまれているような寂れた無人駅の改札をかわすことなど、勇者にかかれば造作もなかろう。 しかしよくもまあ、町の名前もわからないのに電車まで駆使してやってこれたものだ。それを言うと、「勘だ! 勇者の!」と威勢の良い回答が返った。さすがは勇者。理屈じゃない。だがなんでも大声で言えばいいというものではない。 「で、勘に頼って迷子になったと」 「まだ迷子と決まったわけではない。仇討ちの途中だ」 「迷子ですよ現在地が不明の時点で」 だいたい仇って誰、と口にしようとして、はたと気がついた。勇者とは普通、平和を脅かす悪に立ち向かう者だ。それも小悪党ではなく、頂点に立つ存在の討伐を最終目標としている場合が多い。もしや、この甲冑の勇者が探している仇とは―― 「にくき魔王の存在近し、と俺の嗅覚が告げているんだが」 予想を違えることなく、その名は勇者の口から吐き出された。 あ、いや、まあ、そうっすよね。 相手が勇者と知れた時点で見当がつきそうなものなのに、私はすっかりその個性に横っ面を張られて考えが及ばなかった。なんとも気まずい思いが一拍遅れでやって来る。 おそらくですが、にくき魔王とやらにわたくし心当たりがあります。 これは言いにくい。うかつに口に出せない。 「魔王の根城について何か知らないか?」 こちらの複雑な胸中を知る由もない勇者は遠慮なく切り込んできた。 「どんなささいな情報でも構わん! 例え他愛ない噂でも手がかりにつながる場合もある!」 真っ直ぐな眼差しに対し、私の目は泳ぎに泳いだ。 手がかりどころか、すぐ隣に見えている閑静なお宅が魔王の根城とやらです、と告げれば目の前の熱血漢はどんな顔をするだろうか。 「なるほど……魔王について口にすることを禁じられているわけか」 思わず目を逸らしてしまった私の反応をどう捉えたのか、勇者はしたり顔で頷いた。 「しかしもう恐れることはないぞ! 俺が来たからにはもう魔の影に怯える暮らしも終わりを告げる!」 「痛い痛い痛い」 興奮気味の勇者に力強く掴まれた両肩が悲鳴を上げた。痛いほどに、というか本当に冗談抜きで痛い。激痛。声量と同じく手加減というものを知らない。 幸い骨を砕かれる前に私は解放された。自身を抱きしめるようにして肩を労わる私とは対照的に、勇者は伸びやかに手を広げ、舞台役者のように朗々と雄々しい台詞を続けている。 「なに心配はいらない、俺が必ず討つことを約束しよう! そう、この聖剣に誓っ……」 勇者の手がその腰に伸びたとき、声高らかな演説が途切れた。見下ろすと、勇者の手は空を掴んでいた。何もない。武器らしきものは見えない。 バカに見えない特殊な魔法でもかかっていない限り、勇者の腰に剣はない。 一瞬の沈黙を挟んだのち、甲冑の中をまさぐったり脱いだ兜を振ってみたりと勇者は猛然と捜索を開始した。その焦燥に満ちた俊敏な動作、携帯を失くした人とよく似ている。 一通り探し尽くした勇者は、口を押さえながらうつむきがちにもらした。 「……落とした」 勇者、聖剣失くす。 事件である。私も勇者も思わず黙り、ひととき通夜のような静けさに見舞われた。 聖剣がいかほどのものかわからないが、そうそう手にできない希少な武具であることくらいは予想がつく。少なくともバレたら親に怒られる程度では済まなそうだ。 「いつ落としたんですか……」 「わからん……全く気づかなかった……」 さっきまであんなに賑やかだった勇者からすっかり覇気が失せ、今や語尾に「!」をつける元気もないようだ。耳には優しくなったものの、テンションの落差に息切れを覚える。 「どこだ……? どこで落とした…?」 その精悍な顔をこわばらせて勇者はぶつぶつと繰り返していた。やがて面をあげて、家出るときは持ってたよな? などと同意を求めてきたが、今さっき会った私が知るわけがないのである。そもそも家ってどこなんだ。 「湖でもない、神殿でもない、森……の時は持ってたな、木の枝をなぎ払ったし、」 「電車に乗るとき持ってました?」 「……うん? 確かあったはず……はっ! そういえば降りる時にはなかったかも知れん……!」 電車やバスで傘を紛失する者は多い。勇者の場合聖剣だが、使わない時の存在感のなさといい細長さといい、まあ似たようなものだろう。勇者は頭を抱えた。 「そうだ、あのとき網棚に放り投げて……!」 案外、聖剣は雑に扱われていることが判明した。 問い合わせたところ、幸運なことに聖剣は遺失物として届けられていた。 まだまだ世の中捨てたものではない。親切かつ豪胆な人もいるものである。私なら怪しすぎて手を伸ばすこともしないだろう。 最寄りの駅は無人のため、預けられているのはふたつ先の駅だという。それを伝えると勇者の表情は一度明るくなったが、すぐに不可解そうに曇った。 「あれは、選ばれし者しか手にできぬ伝説の剣のはず……!」 俺以外にも勇者としてふさわしい者がこの地にいるということか……!? と、勇者は熱く苦悩している。どうやら人を選ぶ剣のようだ。勇者でなくては持つこともままならないというのだが、その理屈で行くなら、届けた人はもとより、預かっている駅員の人も選ばれし者ということになる。置き去りにされたとはいえ、剣も捨て鉢になりすぎではないか。節操がない。 「でもほら、とりあえず見つかって良かったですね」 そう励ますと、勇者は少々割り切れないような表情をつくりながらも相槌を打った。 「まあそうだな」 「早く取りに行かないと」 一定期間預かってはくれるものの、価値を考えると急いだほうが良さそうだ。地元に伝説の剣があるというのもまた妙に落ち着かない話である。 私の言葉に勇者は素直に頷いた。そして立ち上がり、元気よくこう言い放ったのである。 「よし、行ってくれ!」 「は? 私!?」 「そうだ! 頼んだぞ!」 当然と言わんばかりの熱量で返され、私の目はひたすらに丸くなった。 「やですよ! なんで私が!」 気の毒に思って剣を探す手伝いはしたものの、そこから先の面倒まで見る義理はないはずだ。しかもふたつ先の駅とはいっても、歩いてせいぜい数十分などという都会の距離とはわけが違う。行けと言われて気軽に行けるものか。 しかし剣の発見により、本来の自信と図々しさを取り戻した勇者は簡単には引き下がらない。 「俺は魔王を探すという任務が残っているからな」 彼方を眺める騎士の立ち姿は一枚の絵のように様になっている。が、今の状況では見とれるどころか腹立たしいばかりだ。 あさっての方角を向いていた勇者の首がぐっとこちらに動く。 「だから聖剣についてはお前、村娘その一に任せようと思う!」 「お断りだ!」 村娘その一ってもしかしなくても私か。 こんな頼み方で相手が応じてくれると信じて疑わない思い込みが怖い。 困っている人がいたら助けになってあげなさい、と祖母は口癖のように言って私を育てた。その教えに背く気はない。が、今回に限っては除外させていただきたい。「困っている人」ではなく「困った人」だろうこの場合。 そもそもさっき自分で語っていたばかりの「選ばれし者しか手にできない」とかいう神々しい設定はどうしてしまったんだ。万が一私が取りに行って難なく剣を運べてしまった場合、選ばれし者という触れ込みで成り立っていた勇者の立場が危うくなるのではないか。それとも駅員も選ばれし者だった時点でどうでもよくなってしまったのだろうか。 「自分の聖剣くらい自分で取りに行ってください。選ばれし勇者なんでしょう?」 はらわたの底から溢れ出る溜め息を私は惜しみなく吐いた。すると勇者は信じられないといったように空色の眼を大きく開いた。 「そうは言うがふたつ先だぞ!? 遠くて行ってられん!」 私は生まれて初めて人を殴りたいと思った。 「なっ……こっちの台詞だよ! 見ず知らずの聖剣のためになんでわざわざ!」 「よしわかったじゃあ電車賃を貸せ!」 「うわあ厚かましい! 人に頼む態度じゃない! お前に貸す現金はねえ!」 「俺に歩いていけというのか!? 村娘その一!」 「自転車なら貸してあげますよ!」 「俺は補助輪がなければ乗れんのだ!」 「知らんがな!」 勇者が投げてくる無礼千万の礫を打ち返すのに忙しく、私はすぐには気づかなかった。自然のものではない風が背後から忍び寄っていたことに。 やがてそれはゆるく編まれた三つ編みのひと房を揺らし、羽ばたく物音をも携えて私と勇者に存在を知らせた。忙しなく動かしていた口を閉ざし、どちらともなく振り仰ぐ。 鳥のような、しかし鳥とは比べ物にならない大きく黒い塊が、悠々と上空からおりてくるのが見えた。 その手に、見慣れた買い物袋をぶら下げて。 ああ、そうだった。今日は卵が安い日だった。 |