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12話目 / 勇者と魔王(二人目)の巻
 


 勇者を気絶させてしまった。
 抉り過ぎた私が悪かったのか、突く寸前に振り向いた勇者が悪かったのか。
 鞘で突いた瞬間、魔王は脇腹を抑えてうずくまるに留まったが、勇者はふぐっと息を吐いてそのまま白目を向いて倒れた。どうも思い切り鳩尾に入ってしまったらしい。
 違う、違うんだ。個人的な恨みを妖刀(※通販にて入手可能)に込めたわけではないんだ。力加減に差はなかった。本当に。偶然の事故である。誓って他意はない。
 そもそもだ、相手は腐っても勇者ではないか。甲冑を脱いでいるとはいえ、たかだか村娘その一に昏倒させられるとは不甲斐ない。攻撃力に関しては申し分なさそうだが、防御面に不安要素がありすぎる。
 倒れ伏してピクリとも動かない勇者を見てさすがに私は青ざめたが、金色の魔王は平然としたもので、よし静かになったとばかりに、さっさとソファへと移動した。黒い方の魔王は、招かれざる客といえどそのまま放置するのは気が引けたのか、仰向けに倒れている勇者にシーツらしき布を被せた。布団のように着せかけるのではなく、人目から隠すように全身覆い尽くした為、遺体みたいになってしまった。
 部下(私)がやってしまった不始末を、上司がもみ消そうとしている図に見えないこともない。申し訳ないことをしたなと思う反面、少し大人しくしてもらった方が都合が良いのも事実。被害者の身の上となった勇者を絨毯の上に残し、私も二人に遅れて椅子に腰におろした。

「どうも勇者と対峙するといかんな。ついカッと頭に血がのぼる」
 危うく家に穴を開けるところだった、と魔王は出された麦茶を豪快に飲み干し、コースターの上にグラスを戻した。さきほど勇者が腰掛けていた場所に、今は魔王が陣取っている。二人がけソファの向かいに魔王、隣にも魔王。事情を知り得ていなければ悪い夢にしか思えない。
「それゆえ余が忠告したではないか」
 家主である魔王が私の隣で不服そうにもらした。賃貸契約であろう住まいを半壊させられそうになったのだから無理もない。とはいえ自分も場をわきまえず勇者とドンパチ始めようとした一人である。魔王も自覚があるのかそれ以上詰らず、諦観にも似た息を吐いた。
「あれは不相応にも本陣に押しかけたと聞いたが」
「たまたま我が留守の時でな。戸締りもろくにしてないもんで入り込んで大暴れよ。衛兵や手下どもを締め上げて我がいないと知るや喚き散らして出て行ったらしいわ」
 いろいろとひどい話だ。
 勇者の猪突猛進ぶりに呆れるべきか、魔王城の警備の手薄さに驚くべきなのか、気持ちの重心が揺らぐ。
「魔王ともあろうものがなんと愚かな」
 視界の端で闇の色を模したローブが揺れた。
「施錠や警備を怠るなど城を預かる身としての自覚が足らぬ。己が城を空けるなら尚更ぞ。長き凪で骨の髄まで錆び付いたか。平和ぼけも甚だしい」
 こんな穴だらけのセキュリティを耳に入れて、警備の鬼が黙っているわけがない。そりゃもう、ここぞとばかりに吠えるのである。
 この人が越してきてから私も幾度となくこの手の説教を喰らってきた。金の魔王も同じなのか、明後日の方向を見ながら髪をいじるなど態度の悪い女子高生並に聞き流している様子である。いや私はともかく勇者に踏み込まれた当事者としては、もっと真摯に受け止めたほうがいいと思う。
「しかし聖剣が勇者を選んだと聞いたはつい先日だぞ? 10日やそこらで城まで攻め込んでくると思わんだろ普通」 
 褐色の肌を持つ魔王は傍らへ目線を送り、大きく頭をかいた。つられるように私と魔王も床に横たわる勇者を一瞥する。
 普通の発想ではやるまい、そんな強行日程での魔王城攻略。
 確固たる約定はなくとも、勇者と魔王の戦いといえば人類にとっても魔の者にとっても運命を左右する一大イベントだ。それゆえに暗黙の了解というか、お互いそこそこ年数をかけて準備を整え、悔いの残らない形で決戦の日を迎えましょう、というようなドラマ性を尊重する空気がある。恐らくこれまでの歴代の勇者達もそれを踏襲してきたのだろう。
 が、そこへ革命児登場である。誰もがそれはない、と断じる弾丸ツアーを実行に移した、わびさびのない男がいたのである。おかげで管轄内外の魔王に保養地をも巻き込んでのこの顛末。
「だが早々にそなたと話がついたは不幸中の幸いと言える。連れ帰ってもらおうぞ」
「気が進まんが致し方ないのう」
 黒い魔王が詰め寄ると、心底気が重そうに赤い目を伏せた。
 首を振る扇風機が私達三人をなだめるように弱々しい風を浴びせてゆく。魔王宅のクーラーは古い型のせいか利きが悪い。扇風機が奮起してはいるが、力及ばず、申し訳程度に空気をかき混ぜているに過ぎない。喉の乾きを覚えてグラスを手に取るも、とうに空だった。麦茶をもらおうと私は半分腰を浮かせた。
「すいません魔王さん」
 呼びかければどちらも振り向く。無理はない、どちらも魔王に違いないのだ。私は慌てて横に腰掛けている黒いベールの魔王を指した。
「いやあの、こっちの、黒い方の」
 ややこしい。魔王が増えた時点で思っていたことだが、実にややこしい。
 そんな私の困惑を見て取ってか、前から声が差し込まれる。
「名がなければ不都合よな。娘、我のことは黄金(こがね)と呼ぶがよいぞ」
 黄金と名乗った男は砕けた微笑みを寄越した。
 凍てついた眼差しが常の、感情の機微が読みにくい隣人と比較すると、彼は人間臭いというか表情豊かだ。顔立ちの印象も随分と違う。どちらも整ってはいるものの、氷を切り出したような鋭利な黒髪の魔王に対して、金の髪の魔王はその肌と彫りが深さが暑い国を連想させる。ラテン系とでも言えばいいのか。
「魔王が集う場では皆そのような通り名で呼び合う。番号でも良いが味気ないもんでの」
 黄金の魔王はさらりと告げたが、魔王が集う場というのが既に不思議だ。どういう状況なんだ。定例会議とかか。それともパーティーか。どんな集まりにせよ、参加者が全員同じ苗字と考えれば、確かに不自由極まりない。
 互いをあだ名で呼び合う和気藹々の魔王達の会談を思い描き、私は置物のように座っている隣を見やった。
「じゃあ魔王さんにも通り名が?」
 本人ではなく黄金がこれに応じた。
「こやつの今の通り名は傷の魔王」
 褐色の長い指が頬をなぞってみせる。魔王の傷を揶揄するような仕草だが、当人に気を悪くした様子は見えない。それに少し安心して正面に向き直る。
「今のってことは、前は違う通り名だったんですか」
 にやりと唇の端が上がった。
「傷を負う前は、八重歯の魔王と呼ばれていたな」
「八重歯!」
 ずいぶんかわいいな!
 驚きついでに声を上げると、傷の件では無反応だった魔王が不本意そうにそっぽを向いた。
 過去の二つ名は彼にとってはあまり歓迎すべきものではないようだ。まあ確かに、魔王という職業の足を引っ張りかねない呼び名ではある。物々しく闇を背負い破滅を掲げて現れたところで、魔王(通称・八重歯)のテロップが流れた時点で畏怖が薄れるのは間違いない。
 しかしそうか。時々唇の隙間から見える尖ったものを、牙として受け止めてきたがこれからは八重歯と思えばいいのか。じろじろと横顔を舐めるように見ていると、手のひらでつかむように顔面を塞がれた。
「そのように無遠慮に見るでない」
 やんわりとしたアイアンクローをお見舞いされ、痛くはないが視界が暗い。
「ところで傷の。その娘はなんだ」
「参謀として召し上げた」
「ほうそれは拾いもんだ。休暇のついでに人材確保とは抜かりない奴だの」
 背もたれに体を預けたのか、ソファの軋む音がした。 
「やはり保養地はよいな。空気もうまいし骨休めには最適よのう。このところ小競り合いやら何やら、僻地と城を行ったり来たりで寝る暇もない」
「戦か」
「いや低位の魔族同士の揉め事でな。会合にあいつだけ呼ばれたとか呼ばれないとか、上座だ下座だとか」
「三流ほどつまらぬ悶着を起こす。余の領地においても頭痛の種であったものよ」
「まったくだ。おかげで翼の艶が思わしくない」
「疲労は抜け羽の元凶ぞ」
「勘弁してくれ。ただでさえ湯に浸かる度、排水溝が詰まって手を焼いてるというに」
「湿気も忌まわしいが過度の乾燥にも注意を払わねば」
「椿油試したことあるか? 悪くないぞ」
「あんず油とやらも良いと聞く」
 さすがどちらも魔王。立場を同じくする者でなければ成り立たない会話である。共感はできないにしても興味がないこともないので、魔王あるある合戦、大いに結構なのだがそろそろ手を離してもらえないだろうか。
 ふとその時、願いが通じたのか、ほどなく顔全体に加えられていた圧迫感が去り、視界に光が戻った。眩しさに目を細める暇もなく、私の耳は誰のものかわからぬ舌打ちを拾った。
「もう少し寝ておれば良いものを」
 見れば、寝かせておいた場所に勇者の姿はなく、白い布が抜け殻のように散らばっている。いつ目覚めたものか、いつの間にか絨毯を這いずり黄金の魔王の足元に到達していた。弱々しくもその手が魔王へと伸びる。
「一撃で失神とは不覚……よくもやってくれたな魔王め……」
「我ではないぞ」
 あっさりと足で払いのけられ、勇者は力尽きたのかその場にうつ伏せで潰れた。それでもまだ何か恨み言を連ねているらしく、もごもごと言葉にならない声を一途に床へとぶつけている。黄金の魔王は眉をしかめて憂鬱そうにそれを一瞥した。
「なんだってこの若造は初っ端からこんな士気旺盛なんだ。厄介だのう」
「勇者さんが言うには仇だとか家族の恨みだとか」
 傍若無人な振る舞いで忘れがちだが、彼の言葉を信じるならば、魔王によって幸せを奪われた薄幸な身の上だ。こうまで好戦的であるのは、勇者としての役割みならず恨みによるところが大きい。ただでさえ冷静や熟考を母体に置いてきた気性であるようだし、仇敵を前にして慎ましくせよというのは無理があるのかも知れない。
「そうだ!」
 潰れていた勇者が大声とともに腕立ての要領で飛び起きた。手負いの獣のように険しく瞳をぎらつかせて、魔を帯びた赤い目を見据える。
「お前が俺の管轄の魔王とわかった以上、どうあっても討ち果たす! 復讐を遂げる! 心当たりがないとはもう二度と言わせんぞ!」
「もう二度と?」
「さっきうちの前で一回やってるんですよこのくだり」
 ね、と目で問いかけると、横で魔王も頷いた。
「そりゃすまんかったの」
 黄金の魔王が大きな肩を竦めてみせた。詫びているものの、あまり悪いと思っていないであろうことはその声色から明白だ。友人間でよくある、遅刻しちゃったわりーわりー程度の重みしか感じない。その軽々しさは、勇者の神経を逆撫でするに十分だった。
「その見下した態度、我慢ならん! お前のせいで俺の家族や恋人がどうなったと思う!」
 猛々しい感情に押されてだろう、飛びかからん勢いで勇者は立ち上がった。が、威勢が良かったのもそこまで、瞬く間によろめき目の焦点が合わなくなったかと思えば、そのまま崩れ落ちた。
「くそ、魔物どもめ卑劣な術を……!」
「立ちくらみですよそれ」
 ずっと寝ていた人間が急に立ち上がればそうもなる。
 聞いているのかいないのか、朦朧しているだろうに勇者は尚も立ち上がろうとしていた。甲子園の砂を拾う球児のように膝と手をつき、声というより息を吐き出す。
「……父を、マリアンヌを……返せ、」
 音は掠れてか細いが、言葉は重く、空気を深く抉りとった。
 たまたま巻き込まれる形になってしまったが、管轄が違う私達はしょせん部外者に過ぎない。これより先は世界と過去を共有する勇者と魔王の問題だ。私も魔王(八重歯の方)も口をつぐんで、ただ成り行きを見守るしかない。
 ソファで足を組んでいた黄金色の魔王はやおら肘置きに体を預け、頬杖をついた。床に這い蹲る勇者をまじまじと眺めて、その口を開く。  
「何を言ってるものかわからんのだが」
 黄金の魔王は全くぴんと来ていない様子で八の字に眉を描いている。とぼけているわけでも勇者を試している風にも見えなかった。
「また魔王違いだと逃げるつもりか! もうその手は食わん!」
 身を起こした勇者は今度は一気に立ち上がらず、膝立ちの姿勢をとった。少しは学習したようだ。
「お前たちのこれまで悪行の始末、その命で購ってもらうぞ!」
「坊主、お前なにか勘違いしとらんか」
 小石を指ではじくように、黄金の魔王は平坦に応じる。
「人が人の世を生きる為足掻いてるのと同じく、こっちはこっちで忙しいのよ。わざわざ人間どもの土地に足を伸ばして荒らす暇なんぞあるか。特にこのところ内輪もめが続いて、どこの魔族も身内に目を光らせるのに躍起になっとる。こんな時期に人間なんぞに構う奴がいるなら、そいつはただの阿呆だ」
 魔王によるまさかの内情ぶっちゃけに、勇者は怯んだ。
 ついでに傍から見ているだけの私も怯んだ。
 気の向くままにその邪悪性を発揮して、人を襲い困らせ苦しめるのが魔の者の生きる道かと思いきや、そういうわけでもないようだ。人が思うほど魔物も自由に非ず。この広い世の中、どこに行っても世知辛い。
 つかの間言葉を失っていた勇者はすぐに我に返った。首を大きく振って、正義を曇らせる疑心を払い落とし、己を奮い立たせるように声を振り絞る。

「だが! 現に父は女と逃げた!」

 その叫びはリビング全体に響き渡り、聞く者全てを同じ顔にさせた。
 きょとん。そう、きょとんだ。
 それよりふさわしい反応は他にない。

「……お父さん、亡くなったんじゃ?」
 おずおずと私が尋ねると勇者は凛と背筋を伸ばした。 
「死んだとは一言も言ってない」
「ええー……あの感じだと普通そう思うじゃん……」
 血のにじむような熱量を孕んだあの訴えは一体なんだったのか。 
「で、その話と我がどう繋がる」
 誰もが感じていた当然の疑問をそろりと口にしたのは黄金の魔王。返事を促す三つ分の視線を受け、勇者は厳しい面持ちを返す。
「父に魔が巣食ったのだ。父の弱い心に魔物が囁いて……夜な夜な町に繰り出してはよその女と散々火遊びに興じた挙句、出て行ってしまったと母が」
 魔族関係ねえ。
 勇者の父が存命と判明したあたりで、ろくな話ではない予感はしていたが、やはり裏切ることはなかった。できれば裏切って欲しかった。こんな時空を超えてまでやってきた人の口から、ただの言いがかりなど聞きたくなかった。
 勇者はついに立ち上がり魔王を真っ向から睨みつけた。
「お前ら魔の眷属が父を惑わし、母を愚痴っぽくさせたのではないか!」
「知るかたわけ! 家庭内のいざこざまで我らのせいにされてはたまらん! 単にてめえの親父の下半身に節操なかったんだろうがよ!」
「なんだと! 父は節操がなかったのではない! その猛勇を身の内に秘めておくことができなかっただけだ!」
「それを世間じゃ節操がないっつうんだ小僧! 己のムスコの手綱も持てねえ夜の豪傑なんぞ、酒の席では誉でも所帯持ちとしては恥さらしよ! 盛りのついた畜生にも劣るわ!」
「そなたら自重せよ。嫁入り前の娘に聞かせる話ではない」
 いかにも不快そうに魔王は眉をしかめた。先刻から私の耳は魔王の手によって塞がれている。が、添えられた手の位置が微妙にずれており、気遣いも虚しく下劣な会話はほぼ弾かれることなく耳に流れ込んでいるのだった。
「とにかく我には関わりないことよ。勇者に狙われるは宿命とはいえ、身に覚えのない罪まで被ってやる義理はない」
「待て、ならばマリアンヌの件はどうなる!」
 早々に幕を下ろそうとした黄金の魔王に勇者は食い下がった。しかし既に茶番を繰り広げた後では、まともに取り合ってもらえるはずもなく。
「マリアンヌとやらはなんだ? 魔にそそのかされてマグロ漁船でも乗ったか? それとも賭博で身を滅ぼしたか? これ以上ガキの戯言に付き合ってられん」
「父の時とは違う! マリアンヌは、マリアンヌは……恐らくもうこの世には……」  
 頼りなくなった言葉尻に、背を向けていた魔王は金の髪をうねらせて振り向いた。ふっと火が消えるように喧騒が遠のく。勇者は目を伏せた。 
「将来を、誓い合った仲だった」
 ぽつりと言葉が落ちる。
「同じ町で生まれ、同じ町で育った。マリアンヌと同じ色を持つものは沢山いたが、あれほど美しい瞳は彼女のほかにない」
 懐かしむような過去を惜しむような声だった。
「勇者になったら結婚しようと、幼い俺の求婚に彼女は応じてくれた。10年前に彼女が遠くの町へ引っ越し、離れ離れになってしまっても絆が揺らぐことはなかった。俺は頻繁に手紙を出し、思いの丈を伝え続けたし、近況報告も欠かさなかった。あまり返事は来なかったが」
 ……うん?
「返事が来なかった?」
「全く来なかったわけではないぞ、10通に1通くらいの割合で届いた。きっと忙しかったんだろう」
「お、おう」
 雲行きが怪しくなってきた。
「しかし俺はあの日の誓いは一日だって忘れたことはない。だから、勇者に選ばれた日すぐに手紙を書いた。約束通り迎えにいくと」
 そうしたら。
 勇者はぐっと拳を固く握り、面を上げた。その瞳はうっすら涙で潤んでいる。
「魔王が伝染病を町中にばらまき……それに感染してしまったと。致死率は高く、治す手立てもない。あなたが感染しては困る、だから来てくれるな。きっとこの命も数日ともたないから、どうか私のことは忘れて欲しい、と」
 唇を結んだ勇者は懐から手紙のようなものを突き出した。私がそれを受け取り、魔王二人が後ろから覗き込む。
 和紙に似た手触りの表面に流れるような異国の文字が連なっている。
 何が書かれているかまでは判断できないものの、か細さの欠片もない筆跡を見る分には、とても今にも死にそうな病人のものとはとても思えない。紙の上を走るその太く濃いインクは躍動感に溢れており、雄々しさすら感じる。全文黙読した魔王いわく、忘れて欲しい、という文言が三度に渡って記されているなど、全体的に必死さが伺える文面だったという。
「魔王が伝染病……」
 つぶやきながら見上げると、黄金の魔王は心外と言わんばかりに首を振った。
「知らん」
「この期に及んで言い逃れとは見苦しいぞ! その手紙が動かぬ証拠ではないか! 恋人を奪われた苦しみ、冷血な魔物どもにはわからぬか!」
 勇者は例のごとく勝気に喚いたが、今度は誰も応戦しようとはしなかった。むしろそれとなく目線を方方にそらし、衝突を避けてさえいた。その時思ったことを素直に口に出すのは、なぜか憚られるような気がしていたのだ。
 扇風機の羽が重い空気を波立たせて回る。
 担当という責任感がそうさせたのか、わずかな沈黙を破ったのは黄金の魔王だった。
「……ならば問うが、その病で死者はどれほど出た」
 静かな問いかけに、勇者はぐっと言葉に詰まった。
「詳しくは知らん、だが」
「そもそも町ひとつ脅かすほどに悪辣な病が猛威を振るっているならば、騒ぎにもなろうし、噂のひとつでも流れてこよう。被害によっては町ごと封鎖だ。お前、一度でも耳にしたか?」
 声音には威厳と落ち着きが溢れており、すでに魔王というよりも小僧を諭す長老さながらである。噛んで含めるように説かれた勇者は目を瞬かせて、考え込む顔つきになった。
「いや……そんな話は聞こえてこなかった。商売であの町と行き来している連中はいくらでもいるのに、誰も病のことなど」
 言葉を切って勇者はうつむく。それからゆっくりと、閃いたように口を動かした。
「……伝染病など、なかったということか?」
 いかにも、と相対する魔王は目だけで応える。自分で口にしておきながら、勇者は愕然とした表情を浮かべた。
「なぜだ!? ならば、なぜマリアンヌはこんな真似を!? 嘘をつく必要がどこにあった?」
 思わず私と魔王二人は顔を見合わせた。口には出さずとも、胸に抱えている思いはみな同じである。
 私たちは無言を守りつつ、お互いアイコンタクトで「お前言えよ」「いやお前が言え」と散々牽制し合っていたが、やはり魔王らが放つ目力たるや凄まじく、人の子が敵うべくもない。結局私にお鉢が回ってきた。
 答えを待つ勇者の眼差しは、火種になりそうなほど熱い。それにじゅうじゅうと炙られ、私は何度か口ごもった後、残酷な事実を伝えた。
 あのですね。
 それはたぶん。
「振られたんですよ」 
「……なっ……」
 勇者は絶句した。
 
 将来を誓い合った恋人を偽りの手紙一通で裏切ったマリアンヌ。
 概要だけ聞けば、なんと血も涙もない女かと非難の思いが湧くところだが、この件に関してはそう単純な感想では済みそうもない。
 何しろ10年前に離れ離れとなって以来、お互い一度も会っていないのである。もちろん世には遠距離恋愛というものが存在するし、一度の恋を生涯のものとする一途な方々も沢山いらっしゃるのだろうが、返事もろくに来なかったことを考えると、明らかに二人の情熱には開きがある。マリアンヌが筆不精なたちだとしても想い合ってる相手との文通ならば、もう少しまめに文に認(したた)めてもよさそうなものだろう。10通書いてやっと1通って。無骨な将か。
 こう考えると、二人が本当に「恋人」という間柄だったのかも怪しい。あまり推測でものを言いたくはないが、勇者だけが一方的に思い込んでいただけなのではないか。
「将来を約束したのは確かなんですよね……?」
 世界を救う勇者がストーカーでは聞こえが悪い。
「もちろんだ。校舎裏に呼び出し、大人になったら結婚しようと求婚したんだ、忘れるはずがない」
「で、マリアンヌさんはなんと」 
「照れていたのか何度も返事に詰まったあと、あなたが勇者になったら、と」
 本当に照れていたのかそれ。違うと思う。絶対違うと思う。
 しかし凶器にさえなり得る超級ポジティブを備えた勇者にかかれば、むき出しの困惑も、照れおって愛い奴め、に変換されてしまうのだろう。
 そもそも、あなたが勇者になったら、というその返事。
「勇者が選ばれる頻度ってどのくらいですか?」
 私は二人の魔王を振り返った。
「ふむ、一概には言えぬものだが」
「おおよそ人の世であれば何十年に一度ってところかのう」
 宝くじどころの当選率ではない。可能性はゼロではないとはいえ、限りなくゼロに等しい。そんな現実的ではない条件を、好いた男に叩きつけるものだろうか。普通はすまい、本当に結婚したいと望んでいたら。
 つまりマリアンヌは、男達に無理難題を吹っ掛けたかぐや姫よろしく、遠まわしに求婚を拒んだのだ。
「なんだ。どういう、ことだ」
 私達のやり取りに秘められた真意に気づかないのか、はたまた気づきたくないのか、気の毒なほどに顔色を失くした勇者が、ぱくぱくと口を動かしている。居たたまれなくなって、私は目をそらして答えた。
「勇者になるとは端から思ってなかったって、ことです」
 心臓を射抜かれたごとくに凍りついた顔が視界の端に見えた。
 勇者として剣に選ばれた時、彼はさぞかし喜んだことだろう。
 そして、それ以上に知らせを受けたマリアンヌは驚き慌てたことだろう。
 私と結婚したければ龍の首の珠を差し出せと退けたはずの相手が、本当に持ってきちゃったのである。まじかよ、と気が遠くなったに違いない。幼少期から共に過ごしていたのであれば、彼に生半可な断り文句など通用しないことは骨身に沁みているだろうし、かと言って下手に直球を投げて、愛が憎に反転した元幼馴染に首を狙われることになっても堪らない。その果てに生み出された苦肉の策が、伝染病にてマリアンヌ死す、だったわけである。魔王はまさにとばっちり、病に説得力を持たせるちょっとしたエッセンスとして体よく名を使われた過ぎない。
「マリアンヌとやらは傷を負わせることなくうまく断ったつもりだったんだろうがなあ。しかし勝手に名を使われてはたまらん」
「所詮は小娘の浅知恵よ。切れ味の悪い刃物など百害あって一利なし。ひと思いに楽にしてやれば良かったものを」
 片方の魔王は倦んだ色を隠すこともなく金髪を乱暴にかき回し、もう一人は冷ややかに腕を組んで牙にも見える八重歯を覗かせている。巨塔二つを中心に生み出されるうんざりとした空気が、肩を叩くように脱力を誘った。
 暑い。忘れかけていた喉の渇きが鮮明に蘇る。許可を得るのも面倒で、勝手に麦茶をもらおうと私は足を踏み出した。その一歩目に何かを踏んだ。
 勇者だった。彼は体育座りで泣いていた。
 10年を超える初恋が、ただ一人の味方もない世界の田舎の片隅、しかも担当違いの魔王邸リビングというわけのわからない舞台において儚くも酷薄に散ったのだ。いくらダイヤモンド級の彼のメンタルをもってしても跳ね返すことは難しかろう。膝に押し付けているせいで表情は伺えないものの、くぐもった恨みがましい涙声が途切れ途切れに聞こえる。
「うう……何故だ、何故だマリアンヌ……俺の何が気に入らなかったというんだ……」
 嘆く姿はあまりに惨めで湿っぽい。一から十まで迷惑な男とはいえ、その盲目的な純情を思うといくばくかの同情の火が灯る。せめて慰めのひとつでも、と背中に手を伸ばしかけた。
「俺達の仲を引き裂こうとした君の兄と決闘して圧勝したのも一度や二度ではないし、誕生日には欠かさず俺の大事なヘラクレスオオカブトを大量に贈って祝ったし、家畜には全てマリアンヌと名づける程の愛を示したのに」
「そういうところだと思いますよ」
 慰めの言葉は途中で蒸発した。


    
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