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7話目 / ひやむぎの巻
 


  【いま家にいるか】

 たったそれだけの簡素なメールが届いたのは、夏休みに入って間もない頃だった。
 ちょうど煮立たせた麦茶をボトルにうつしていたところで、気づくのがいくらか遅れた。さして広くない台所は炙った薬缶の熱気と夏らしい暑気が充満して、吸い込む酸素すら暑苦しい。汗を拭いながら【いるよ】と負けず劣らず淡白な文面を返せば、画面を閉じるよりも早く鳴った。携帯ではなく、玄関の呼び鈴が。
「返信おせえよ」
「10分やそこらで遅いも何も」
 私が出るまで二回ほどチャイムを追加してくれた宮間くんは憮然とした顔で佇んでいた。せっかちな面がある宮間くんは、いるかと問いかけておきながら、私の返信を待たずしてやってきたらしい。留守という考えはあまりないようだ。
「てか、すげえ暑いんだけど。麦茶飲まして」
「アッツアツのしかないけどいいかな」
「いいわけねえ」
 もともと白い方ではない宮間くんの肌は、日差しの強さを物語るようにますます良い色に焼けていた。ほぼ毎日、熱心に野球部の練習に打ち込んでいるのだろう。この炎天下の中、打って投げて走るのだから純粋に尊敬する。実のところ本人はサッカー部を希望していたそうだが、生徒数が多くないこともあってまともに活動しているのは野球部とバドミントン部と囲碁将棋部くらいしかなかったらしい。
 ちなみに私も一応という感じで、茶道部に籍を置いている。ただ、茶道室はないので特に茶道は学べていない。それでも部としての体裁を保たなくてはいけないので、当初は週に一度、理科室でお茶を点てたりしていたものの、最近ではトランプタワーに傾倒するなどして完全に堕落の一途をたどっている。
「なんか用事あった?」
 麦茶に三つほど氷を入れて、玄関口に立ったままの来客に手渡した。熱々ではなくなったが冷えてもいないそれを一気に飲み干してから、宮間くんは「なきゃ来ねえ」などと言って下げていた紙袋の中を漁り始めた。
「お前んち冷麦食うよな?」
 首をかしげながらも頷くと「かなり食うよな?」と問いを重ねてきたので、そこは相槌を打たず「いやそんなには食べない」と正直に答えた。紙袋に視線を落としている宮間くんの口から、ちっ、と音がする。
「なんで舌打ち?」
「そこは食うって素直に答えりゃいいんだよ。まあいいや、これ残り全部やるから」
 結局宮間くんは、紙袋ごと私に放って寄越した。中を見ると手をつけていない冷麦の束が大量に入っている。どうしたのかと袋を抱えたまま視線を向けると、宮間くんは決まり悪そうに、そのつり気味の眼をすいっと逸らした。
「お中元が全部かぶった……」
「なるほど……」
 宮間くんの家は商売をしているので、お中元やお歳暮の数が比較的多い。これまでは果物やゼリーやビールなどそれなりにバラけていたようだが、今年は見えない力でも働いたかのようにことごとく麺類が届き、中でも特に冷麦の勢いすさまじく、宮間邸の一角は夏の麺まつりと化しているという。長く日持ちがするとはいえ量が量なので、長男の仕事として命じられた宮間くんが、知人宅に配り歩いているのだそうだ。
「八軒回ったけど、留守も多かった。吉田んちとか」 
「ああ吉田くんサイパン行くって」
「まじで? なんであいつがサイパンで俺が冷麦なんだよ……」
 肩を落とす宮間くんを尻目に、私は袋の中身を物色していた。ずっしりと抱えるほどの量が詰め込まれており、引き受けるには少し手に余る。何しろ我が家には、買い置きをさせたら右に出るものがいない母という存在がおり、日に日に在庫を増やしているのである。当然、魔手が冷麦や素麺などの乾麺に及ばないわけがない。去年おととしに買い込まれたそれらが、今もシンク下で今か今かと出番を待っているのだ。
「宮間くんこれちょっと多い」
「多くねえって根性で食え」
「根性はもっと別の場面で使いたい派です」
「いいからとっとけ! 夏は冷麦だろ!」
「うちだって三シーズン分くらいの麺が眠ってるんだよ!」
 主張するごとに押し付け合い、私と宮間くんは何度か紙袋を往復させた。夏は暑い。日当たりはよく扇風機の風も届かない玄関先はいよいよ暑い。こんな中、声を張りあげていれば汗も流れるしエネルギーも奪われる。つまり疲れる。四度ラリーを重ねたあたりで、埒が明かないと悟った私たちは徐々に語尾を弱めて、歩み寄る姿勢を見せた。
「まあ、半分……くらいなら」
「そう言わず全部引き取ってくれ……」
「えー……食べきれる気がしない……」
「うちにまだ何箱あると思ってんだ、親戚からきた分も含めて15箱だぞ15箱。大人ひとりが体育座りしてるくらいのスペースとってんだぞ」
「致し方ない……手を打とう」
 正直うちの在庫も相当なものだろうが、切々と訴える15箱に免じて折れることにした。武士の情けである。冷麦を袋ごと受け取ると、宮間くんはようやく肩の荷が降りたような安堵した顔を見せた。ノルマを達成して気が楽になったのだろう。先ほどとは打って変わって、無理言って悪かったな、と殊勝な台詞までもがその口から出た。私は長男に課せられた責務の重さをしみじみと感じた。
 と、その時またしてもインターホンの音色が響き渡った。すでに扉の内側にいる宮間くんの犯行ではない。そのままサンダルをつっかけてドアを開くと、そこに居たのはいつも回覧板を持ってきてくれる鈴木さんだった。親しげな微笑みの鈴木さんは、私の姿を見てゆっくり首をかしげた。
「あら、おばあちゃん留守?」
「あ、すいません太極拳教室いってて」
「まあそうなの」
 じゃあこれ、みなさんで召し上がって。製麺工場に勤めてる息子からたくさん届いたの。
 鈴木さんはそう言って、包装紙にくるまれた平べったい箱を三つほど私に手渡し、軽やかに去っていった。包装紙の紙質は薄く、目をこらせば中身の予測は容易い。うっすら浮かぶ三文字を注視すると、こう読めた。
 手延べ。
 鈴木さんはこう言い残していった。
 製麺工場。
「…………宮間くんに残念なお知らせがあります」
「聞きたくない」
「さっきの冷麦の件はご破産ということで」
「俺は嫌だぞ絶対持ち帰らねえからな」
 再び面持ちに険しさを取り戻した宮間くんは強く拒んだ。が、瀬野家としてもこれ以上受け入れて、夏の麺まつりの二の舞は避けたい。冷麦に罪はない。素麺にも咎はない。しかし人は麺類のみで生きていけない。議論の余地はないという意思をこめて厳かに首を振って見せると、宮間くんはらしくない弱々しさで告げた。
「この冷麦をさばくまで家に帰れねえんだよ……」 
 そんなマッチ売りみたいに訴えられても困る。
 かといって、知ったことではないわ出ておいきと窮した友人を冷たく突っぱねられるほど私のハートも凍りついてはいない。珍しく覇気のない宮間くんの姿に、つい、半分くらいなら引き取ってあげようかな……と仏心がもたげそうになったものの、両手に感じる素麺三箱分の重みが私を押しとどめた。
「誰かいないの他に」
「いねーよ。瀬野こそ他に回すとこないのかよ。隣近所とか」
「うーん……」
 手の内の素麺へ迷う視線を落とす。おすそ分けどころか、隣近所の一角である鈴木さんには逆に頂いてしまったし、このあたりの友人は既に宮間くんが潰してしまっただろう。宮間くんが思いついたような声をあげた。
「あそこは? 元色ボケの。犬じじい」
「こら、三枝さんのことそんな風に言っちゃいかん」
「通じてんじゃねーか」
「やー三枝さんあんまり麺類好きじゃないからー」
 刹那、鈴木さんを見送ったあと開きっぱなしだった玄関ドアの前を、白いものが通過した。出て行って拾い上げてみると、少しだけ湿ったTシャツが一枚。風で飛んできた洗濯物らしきそれは、胸に見覚えのある文字がプリントされていた。後ろから覗き込んだ宮間くんが冷静に読み上げる。
「わっしょいいかまつり?」
 そう。居るじゃないか。おすそ分けに最適なお隣さんが。



 思い立ったが吉日。すぐさま魔王宅へ向かった私達はTシャツと袋いっぱいの冷麦を手に、インターホンを押していた。幸い在宅だったようで、ほどなく魔王はいつもと同じように来客を迎えた。
「洗濯物落ちてました」
「よくぞ手にした。まずは褒めておこう」
 差し出したTシャツを、するりと長い爪と長い指がさらっていく。洗ったということは着用しているということで、一体いつ着ているのかと心の片隅で好奇心が蠢いた。二言三言、魔王と言葉を交わしていると、それまで黙って傍らに立っていた宮間くんが私の肘をついた。
「なあ、もしかして近所付き合いこじれてんのか」
「なんで」
「ドアチェーンかけられてんぞ」
 ここらあたりの住人にとっては、ドアチェーンなど飾りである。これまでの経験で私は慣れてきたが、宮間くんには魔王による警戒心フルスロットルの対応はやはり異様にうつるのだろう。ましてや顔見知りのはずの隣人を相手にしてこれなのだから、まあ普通に引く。
「いやこれはしきたりみたいなもんで……」
 そのうち開くから、と私が付け加える前に、ドアチェーンの戒めが解かれ、魔王は禍々しくも高貴な姿を顕にした。扉のせいでちょうど死角になっていたのだろう、そこで初めて客が一人ではないと気がついた魔王は底冷えする眼差しを宮間くんに向けた。宮間くんは宮間くんで、臆することなく勝気な目尻を更に吊り上げてそれを迎え撃つ。
 すっかり忘れていたが、スーパーでの一件を考えるに、この二人は相性があまり宜しくない。魔王は初っ端から青少年のコンプレックスを刺激し、宮間くんは宮間くんで呼び捨てにした挙句魔王相手に噛み付いた。互いの印象は良いものではないだろう。私がいささか不安を覚えた始めた時、魔王は重く口を開いた。
「誰ぞ」
 印象以前の問題だった。
「え、えーほら、前スーパーで会ったことあるじゃないですか」
 悪印象を抱いていないのは結構なことだが、まるで記憶にないのもそれはそれで失敬な話である。あの時のことを思い出してもらおうと私はあれこれ動作付きで伝えてみたものの、魔王の手応えは芳しくなく、そうだっけ、みたいな実に薄味の反応しか返らない。
「確かあれ、カレー2箱買った、」
 駄目元でカレーの話を出すと、途端、手応えのなかった表情に閃きが浮かんだ。
「そうであったな。覚えがある」
 値踏みするにも似た傲慢な視線が再び宮間くんに降り注ぐ。やがて魔王は記憶を抽出するように、ゆっくりと唇を上下させた。
「確か……ミヤマメといったか」
 惜しい。
「てっめえわざとだろ! 絶対わざとだろ!!」
 背丈を気にしてる相手をつかまえて豆呼ばわりはいけない。怒りに任せて魔王の胸ぐらをつかむという凶行に及んだ宮間くんだったが、身長差の関係でぶら下がるような格好になってしまい、あまり様にならなかった。傍から見ると、最低五人の腕を食いちぎっているであろうドーベルマンと喧嘩っ早いコマネズミ。勝ち目は薄い。
「ミヤマメじゃなくて宮間くんですよ宮間くん」
「大した差異でもなかろう」
 ドーベルマンはコマネズミを胸ぐらにぶら下げたまま平然とそう言った。人間風情など歯牙にも引っ掛けない魔王たる余裕なのか、鈍い感覚、いわゆる鈍感という人種なのか、判断がつかない。のれんに腕押しと悟ったか、宮間くんもギリギリと歯ぎしりの音色を奏でながら一旦魔王から手を離した。良い判断だミスター宮間。友人の剣呑な気配を目の端に入れ、私は本題である冷麦の大量袋詰めを魔王に差し出した。
「これ宮間くんからなんですが、良かったらどうぞ。保存食にも最適です」
 つい先日、魔王がセルフ兵糧攻めに苦しんでいたことを踏まえての発言である。案の定、魔王は保存食、という部分にピクリと反応して紙袋の中を覗き込んだ。
「ほう……これを年貢として余に納めると」
「えっ……まあ、うん、そうです」
 そういうことにしておこう。
「冷麦とか素麺とかって普段食べます?」
 目線を袋から私へと戻した魔王は首を横に振った。そしてすぐに「だが、」と付け加えた。
「いずれ遠からず食す腹積もりであった」
 魔王は唇の端を持ち上げ、まさか己から転がり込んでくるとは飛んで火にいる夏の虫、とか、天の采配も捨てたものではない、とか、ぶつぶつとよくわからない独り言を並べている。魔王の冷麦への妙な前のめりな姿勢に首をひねっていると、家の前に宅配のトラックが停車した。
 通販を頻繁に利用している魔王はすでに運転手と顔なじみらしく、荷物を抱えたおじさんに「おっ、今日はチェーンかけてないんだね」などと陽気に対応されていた。受領書にサインを記し(ひらがなで「まおう」だった)荷物を受け取った魔王は「ついに来たか……」と重々しくもらした。覗き込むと、送り状の品名の項目に【家庭用流しそうめん】と書かれていた。


 私はこのあと本屋に行くつもりであったし、宮間くんも用が済んだら帰ると事前に宣言していたので、冷麦を置いて早々に解散の予定だった。が、なぜか今、私達二人は魔王邸の中にいる。
 我々を引き止めたのは、言うまでもなく、魔王のもとに届いた流しそうめん器である。
 以前訪れた際、カタログに付箋が貼られていたのを覚えていたので、私は「あっやっぱり買ったんだ」と魔王の通販におけるフットワークの軽さに驚き、流しそうめん器の存在自体が未知だったらしい宮間くんは「なんだよ流しそうめんって!」とトビウオ並の瞬発力で食いついた。
 焚き火の焼き芋と同等のレベルで流しそうめんにはロマンがある。日本の国に生まれたからには一生に一度くらい流してみたい。逃げゆく麺に翻弄されてみたい、それを箸で追ってみたい。抗いがたきは流しそうめんの魅力。私たちは予定も憤りも一旦放り投げ、魔王から放たれた「そなたらもこの儀に立ち会うか」の誘いに乗った。
 一応客の扱いということで、宮間くんの足にも例のモコモコのスリッパが与えられている。出された時は夏に履く素材じゃねえだろ、と文句を垂れていたが脱がずに履いているようだ。
 台所では、もうもうと湯気にまみれながら、魔王が冷麦を茹でている。いか祭りTシャツは例外として、魔王は常に黒いベールをまとって過ごしているので、見ているこちらが蒸し上がりそうだ。暑くないのかと聞いたところ、脆弱なそなたと違い余の肌は熱など通さぬと一笑に付された。
 道理で室内が暑かったはずである。窓は締め切られ、クーラーも沈黙し、扇風機は羽を休めている。家に上がった瞬間、外気と変わらない温度に私も宮間くんも真顔になった。
 なるほど、魔族は地球にやさしい。
 しかし人類である私達はエコを優先させすぎると救急車のお世話になる羽目に陥るので、渋る魔王を説き伏せてクーラーを叩き起し、冷風を味わった。
 冷麦の茹で時間など知れているというのに、落ち着きのない宮間くんはリビングをちょろちょろとしている。その内テレビの方へと近付いて細かく観察し始めた。ガラス戸の中まで無遠慮に覗き込んでいるので、思わず立ち上がった。
「ちょっ、人様の家のものをそんな漁るように、」
「おっDVDボックスあるじゃん」
「えっ」
 咎めるはずが好奇心が勝り、つい首を伸ばしてしまった。宮間くんの言うとおり、奥の方に上等な箱におさめられたDVDが堂々と鎮座している。その背に記されたタイトルは私もよく知るものだった。
 徳川の八代将軍がちょっとどうかなと思うくらい派手に暴れまわる、国民的な時代劇である。10人を超える刺客に囲まれても微塵も動じず、小悪党どもをなぎ払う様はまさに痛快。この上様ならば黒船すらも一太刀で沈めたであろう。魔王が先ほど口にした「年貢」のワードの出処はここか。なるほどと合点がいくのと同時に、とある懸念がよぎった。
「大丈夫なのかな」
 胸に引っかかったものをそのままぽろっと外に出すと、宮間くんが「何が?」と振り返った。
「これでもかと勧善懲悪じゃん……」
 悪は例外なく将軍の手に掛かり、完膚無きまでに叩き伏せられるのが定石。悪役代表みたいな立ち位置にある魔王が果たして心穏やかに鑑賞できるのか。
「公私は分けるタイプなんじゃね?」
「そ、そっか」
 竹を割ったような回答を前に、ですよねーフィクションですもんねーと納得するしかない。単なるモデルとはいえ実在した吉宗公がフィクションで、魔王がノンフィクションという扱いの現実と改めて向き合うと知恵熱が出そうなので、流しそうめんに流すことにした。

 居間のテーブルの中心に流しそうめん器は設置された。正確には流しひやむぎだが、この際流れる細い麺なら何でもいい。私たちはそれぞれめんつゆの入った椀を持って、中心に据えたそうめん器を三人で取り囲んだ。
「余が手ずから茹で上げた麺ぞ。心して食せ」
「持ってきたのは俺だけどな」
 流しそうめん器とはいうなれば回りそうめん器である。回転寿司のようにぐるぐると水が回る仕組みだ。うまく水が回り始めたのを確認して、私はひとかたまり分の冷麦を流し入れた。それを見て宮間くんも同等の量を水に放った。魔王も倣うようにして投入した。
「流れねえ」
 渋滞した。
「なんでいっぺんに入れるの……」
 一気になだれこんだ冷麦が水中で立ち往生している。水流が完全に負けているのだ。全員でかき混ぜるなどして循環を促してみたものの、モーター音が唸るばかりで冷麦はその場に浮かんだまま身動きひとつしない。仕方ないので流れていない冷麦をすすって食べた。いくらか食べたところで電源を入れ直すと、ようやく流れの強さが数の暴力を凌駕したのかスムーズに麺が流れ始めた。
「カオリ、そなたに麺を扱う任を負わせる」
 箸で人をさすな。
 任命だけに飽き足らず、魔王は冷麦の入ったボウルを強引に預けてきたので、私は流れを目で追いながら冷麦を放流する作業に従事することになった。
 育ち盛りの宮間くんは当然として、魔王も見かけによらず食欲は旺盛だ。箸の動きが早い。私もお昼は食べていないので、流すばかりでなく少し位はいただきたい。せき止めない程度の量を放って、箸ですくって食べて、冷麦を入れて、食べて、入れて、食べて、それを数度繰り返したところで気がついた。
「色付きばっかり食べてるのは誰だ!」
 魔王と宮間くんの箸が一瞬止まった。
 種類で分けるならば、魔王は「ぎくり」、宮間くんは「ぴくり」。宮間くんがサッと横の魔王に視線をやると、魔王は箸で持ち上げていた麺を隠すようにめんつゆの中に落とした。こんな時でもその顔色は涼しく毅然としており、手にしているのが欠けた割り箸とは到底思えない。
 ピンクや緑の冷麦はひと束に一本ずつしかないレアな存在と言える。味は通常のものと全く変わらないのでどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、お宝的な意味で見かけたら狙わずにはいられない。少なくとも私は狙う。冷麦を食べる際のお楽しみのひとつだ。
「さっきから色付き流れねえなーとは思ってた」
 宮間くんも密かに機を伺っていたようである。私と宮間くん二人分の非難の視線を受けたところで、さすが魔王は動じない。めんつゆから手を離さない。
「たかだか麺の7本ごときで騒ぎ立てるなど愚かな者共よ」
「自白したぞ」
「数まで聞いてないのに」
 開き直ったのか、魔王はずるりとめんつゆに秘していた冷麦をすすった。桃色の麺が魔王の口の中へと消えていく。魔王が語るとおり、たかだか麺なのである。私も目を釣り上げて憤るほどの子供ではない。が、黙って引き下がるほど大人でもなかった。
 次は本気で行く。
 決意をこめてそうめん器に向き合うと、正面の宮間くんと目があった。ただならぬ気配……奴もやる気だ。
「家と違って妹に譲る必要ねえからな」
 幼い子ほどカラフルな色付き麺を好む。こう見えて長兄である宮間くんは立場的に普段は率先して拾えないのだろう。一人っ子の私は独り占めできるかと言えば、そう甘くはない。油断していると母が巧みな箸さばきで攫っていく。 
「よい面構えよ。首を取る覚悟で来るがいい。手加減はせぬぞ」
 悪そうな笑みをたたえた魔王は箸を開いたり閉じたりして私達を煽っている。
 そう来るなら全力で仕掛けるのみだ。冷麦の塊を流れに放ち、その中心に見えた一筋の緑色めがけて箸を刺す。同様に、二人分の箸が襲いかかってきたが、緑の麺が選んだのは私だった。箸の先に絡まるやいなや、一気に水中から引き上げた……はずだったのだが、気がついたら沈められていた。
 見れば魔王の箸が私の箸を上から押しつぶしている。そして強引に麺を奪い、引っ張り上げてしまった。
「ええー? 今のあり!?」
「これも策よ。脇の甘いそなたに非がある」
 ずるずると勝者の音を響かせながら魔王は緑の冷麦をすすり上げた。策というより単なる力技だろうあれは。早いもの勝ち、というルールを念頭に置いて挑んだのだが、それよりも更に無法地帯であるらしい。魔王は言った。戦の終結も待たず勝鬨を上げるなど愚者の振る舞いであると。

 次に放り込んだ冷麦には色付きは紛れていなかったので、諍いは起きず、皆不自然なほど静かに箸を動かした。心はすでに次なる冷麦へと向かっている。麺をすすりながらも、互いの動向を伺うような緊張感がそこはかとなく漂っていた。
 そのまま三回ほどレアなしの放流が続き、全員の警戒心がほどけかかった頃である。ピンク色の麺が塊の中から見え隠れしたのは。それにいち早く気がつき、誰よりも早く箸を伸ばしたのは宮間くんだった。先ほどの私の失態を学習してか、宮間くんは無駄のない動きで麺を掴むと、素早く水から引き上げて自陣|(めんつゆ)へと持ち込もうとした。が、またしても魔王がそれを阻止した。
 手刀で。
「このやろう……」
 箸もろとも叩き落とされた宮間くんは手首を押さえながら、鬼の形相で魔王を睨んでいる。箸で邪魔されるくらいのことは想定できても、直接力に訴えてくるとは思うまい。規律を重んじる割に、今回に限ってルール無用すぎる。思わず私が、それはないだろう、という目で見ると、魔王は悪びれもせず胸を張った。
「手加減せぬと申したであろう」
「いやまさかここまでやるとは……」
 大人げない、という感想しか出てこないのだが、これが現実なのだろうか。ぬるま湯のような日常を送る私たちには、欲しいものは手段を選ばず奪いに行く、というハングリー精神が足りていないのだろうか。大人しく待っていても与えられるとは限らない。かつて人類は獣を狩り、その生を繋いできた。そう、人には戦わねばならぬ時がある。やらねばならぬ時がある。それは今だ。
 やや勢いで言い切ってしまったがどうなんだ。今なのか本当に。
 とにもかくにも、度重なる魔王の暴虐にそろそろ一矢報いなければ気が済まない空気である。私も宮間くんも気合に満ち満ちていたので、ピンクと緑のダブルを目にした瞬間、フライング気味で箸を突っ込んだ。当然そこに魔王も乱入してくる。私も本当はこんなことはしたくないのだが、力では押し負けてしまうのが目に見えていたので、数で押すことにした。右手のみならず、左手の参戦である。
「瀬野お前……」 
 あきれ果てた宮間くんの視線が少々痛かった。
「ハンデということで……」
 私の箸を宮間くんの箸が押さえつけ、宮間くんの箸を魔王がつぶし、魔王の箸を私の箸(左手)が封じる。箸と箸の取っ組み合いの隙間を白い冷麦があざ笑うように幾度もさらさらと流れていった。もはや何のために冷麦を食べているのか目的を見失いそうだ。いや、とうに見失っている気もする。箸はお互いの意地を示すように頑として動かず、誰かが身をひかないとおさまりそうもない。
「魔王さんはずっと独り占めしてたんだから引いてもいいんじゃないかな」
「そうだ遠慮しろ。そして箸よけろ」
「王たる者はやすやすと背など見せぬ」
 口の端に薬味のネギをつけたまま何を気取っているんだ。
 私たちの言い分など鼻にも引っ掛けず、魔王はちらりと横の宮間くんに冷たい眼差しを送った。
「引き際を知れミヤマメ。身の丈のみならず器も小さいとあっては笑い種ぞ」 
「名前覚える気ねえなこいつ……」
「目上の者に譲らぬか。そなたはその小さき身には余るほど充分食べたであろう」 
「小さい小さいうっせえな! 俺だってお前くらいの歳にはもうちょっとデカくなってんだよ!」
 数字の上では相手が年下だという事実は伝えない方が良さそうだ。魔王の年齢を知ったら憤死するかも知れない。
 その後もしばらく引く引かないの不毛な諍いは続けられ、これは箸が折れるか心が折れるかの泥仕合になるかと思われたが、回りゆく冷麦が30周に差し掛かったあたりで、ついに魔王が動いた。
「皆の者、一度箸を置け」
 これまでの安い口論の時とは打って変わって、その声には逆らいがたい迫力があった。私は戸惑いながらものろのろと、宮間くんは渋々と箸から手を離した。それを確かめた魔王は、すっとその場に立ち上がる。遥か高みから下々の者を見下ろす様はさながら王の君臨。闇を纏いし王は、その声音に畏怖と威厳をたたえ申し渡した。
「これより拳を交えた三つ巴の邪法で勝敗を決する。異論は認めぬぞ」
 計5回の死闘の末、チョキしか出さないと看破された魔王の敗北が決まった。
 
 時に満腹感は遅れてやってくる。
 食べ過ぎた。どう考えても食べ過ぎた。その場の勝負テンションに突き動かされて、明らかに許容量をこえた。それは他の二人も同じようで、ジャンケンで決着がついたのを境に、急におとなしくなってしまった。さっきまで山賊の如き威勢だったというのに、今や箸を持とうとすらしない。水をたたえたそうめん器がモーター音を響かせながら、沈黙の中をくるくると流れる。
「まだ食べる……?」
 一応尋ねると、魔王と宮間くんは言葉なく首を横に振った。一番控えめに食べていた私が、腹を押したら口から出そうというレベルなのだから、さぞや二人の胃袋は大変な騒ぎになっていることだろう。三日分は食べたと思う。麺の洪水。押しも押されぬ大盛況。まさに夏の麺まつり。
 そして、はちきれそうな腹を抱えた宮間くんと私がそろそろお暇しようかと腰を上げた時、それはやってきたのである。魔王宅のインターホンを鳴らしたのは先ほどとは別の宅配便。

 ──先日は【サンダース感謝祭・グルメ百選】にご応募頂きありがとうございます。厳選なる抽選の結果、セカンドチャンス賞「素麺・ひやむぎ詰め合わせセット」に当選いたしましたのでお送り致します。今後ともスーパーサンダースをご愛顧いただきますようよろしくお願い申し上げます。

 魔王の口からおすそ分けの呪文が飛び出す前に、私と宮間くんはダッシュで家に帰った。


    
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